無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和

無縁・公界・楽 増補 (平凡社ライブラリー)

無縁・公界・楽 増補 (平凡社ライブラリー)

内容(「MARC」データベースより)
近代から古代まで遡り、駆込寺や楽市など多様な領域に、人間の本源的自由に淵源する無縁の原理の展開をよみとる。日本歴史学の流れを捉え換えた画期的な名著。〈ソフトカバー〉

「寺社勢力の中世」を読んだ後、こちらの方を先に読んだほうがよかったのかもと思いつつ購入。このテーマ「寺社勢力の中世」を呼んだときも思ったけど、面白いんだけどすごいわかりづらいなあ。
戦国大名は、ここで、「無縁所」に保護を与えることによって、徳政を求める在地の百姓と「無縁所」を切り離し、百姓を抑圧する体制を固めようとしているのだ。駈込寺西手も同じである。結局、それは戦国大名の「牢屋」の代用品であり、走入ったものにとっても、そこは「タコ部屋」同様の悲惨な場所でしかなかったろう。「無縁所」が「自由と平和」の場であるとか、そこに「無縁」の法理、「無主」の原理が貫いているなどというのは幻想に他ならない等等』(P48)
『これまで、いくつかの「無縁所」を経めぐってきたが、もちろん、すべての寺が「無縁所」であったわけではない。』(P61)なんとなく「無縁所」の寺の例ばっかりだったから、これで改めて言われるまで「無縁所」=寺と思ってしまっていた。
織田信長制令」、『もとよりこれは楽市場を定めたのではなく、現に存在する楽市場に充てて発せられた掟書きである。』(P109)織田信長、楽市を公認したというだけで、作ったというわけではなかったのか。
『ただ、結局のところ、問題はこうした背理そのもの――「無縁」「無主」の原理によって、「有主」、私的所有の世界がはじめて成り立ち、それを媒介として発散する矛盾そのものにある。もとより、私的所有の発展、「有主」の世界の拡大にのみ、人間の「進歩」の歴史を見出し、「おくれた」無主・無縁の原理は、それとともにたやすく克服されるという見方に立つ人々にとって、このような背理・矛盾を階級社会にまで持ち込むということは、たぶん、考えてみたくもない問題に違いない。しかし、事実はあくまでも事実である。』(P175)