藤原定家の時代 中世文化の空間

藤原定家の時代―中世文化の空間 (岩波新書)

藤原定家の時代―中世文化の空間 (岩波新書)

出版社/著者からの内容紹介
貴族社会から武家社会へ.源平の争乱を経て日本の社会は大きく変質した.この時代を歌人・定家と共に歩み,その文化の特質を探ってみよう.政治の実権は鎌倉幕府が握り,京都の朝廷は新たな文化の創出をめざした.政治と文化とがせめぎあうこの鎌倉初期こそ,実は「雅」「幽玄」などでイメージされる王朝文化の枠組が確立した時代であった.

鎌倉時代の歴史、最近興味を覚えてきたので読了。
『定家が五位に叙された時、長寛(一一六三)の「皇后宮」の「給」が当てられた事実である。これは年給という制度であって、有力な貴族に対しては毎年官位を申請する権利が与えられており、申請者の貴族(給主と呼ぶ)は官位についた人物から任料を取得することができた。』(P8)貴族の世界、よくわかんないけどそういうのがあったのか。
章の最後の2節(で単位はいいんだっけ)ではAB(C)の対話体の文章で面白かった。
『ところで後白河法皇といえば、すぐ思い浮かべるのは、頼朝が法皇に向かって「天下一の大天狗」と称したという『吾妻鏡』の記事であろう。しかしこれは法皇の近臣高階泰経の使者に向かって頼朝が述べた言葉であって、泰経を指してのもののようである。』(P171)大天狗、今までずっとそうだと思っていたから驚き。