女帝推古と聖徳太子

女帝推古と聖徳太子 (光文社新書)

女帝推古と聖徳太子 (光文社新書)

内容(「BOOK」データベースより)
(1)なぜ、推古が女帝として即位しなければならなかったのか?(2)なぜ、聖徳太子は即位して大王(天皇)にならなかったのか?―本書は、これまでさまざまに議論されてきた二つの問題に、新しい角度から挑もうとするものです。ただし、聖徳太子の側からだけでこの問題を考えるのではなく、推古朝という、特異な女帝を生み出した時代を概観することで、聖徳太子が即位できなかった情勢なり理由なりを浮かび上がらせ、さらに、女帝推古の内面にまで立ち入って、思い切り想像の翼を広げています。

「偽りの大化改新」の方を先に読みたかったけど、amazonに在庫ないのでこちらを先に読了。この時代のことは「日出処の天子」でしか知らない。
中大兄皇子が即位願望があってもなかなか即位できなかったのは、入鹿殺害の実行犯になったことで『「王者は、刑人を近づけず」という意識が、古代人に共通して持たれていた。』(P41)からというのには、自ら望んで即位を遅らせていたわけではないということははじめて知ったので驚いた。聖徳太子はそのような理由もなく大王になれたのに、摂政になっているのはおかしいんじゃないかとなり、聖徳太子は摂政ではなかったのではないかとなるのは面白い。
穴穂部討伐は推古主導で行われたというのは知らなかった。
崇峻暗殺事件というのは「東漢直駒と河上娘の悲恋と崇峻の死という二つの事件」を一つにしてしまったせいでおこった誤謬で、本当は病死、事故死だったのではないかという説は納得できる。
『ところで仏教は、当時、宗教ではありませんでした。仏教は、もともとは釈迦による崇高な哲学だったのでしょうが、七世紀には総合的な学問体系となっていました。かんたんに言いますと、仏教は学問の集合体であったわけです。ですから、寺は現代の総合大学と考えるとわかりやすいのではないでしょうか。』(P167)仏教が宗教ではなかったという話には目からうろこ、聖徳太子斑鳩に学問のメッカを作り上げようとしたというのも面白い。