謎の豪族 蘇我氏

謎の豪族 蘇我氏 (文春新書)

謎の豪族 蘇我氏 (文春新書)

内容(「MARC」データベースより)
「逆賊」か「忠臣」か-? 6世紀に突如現れ、渡来人の先端技術により、天皇をも凌ぐ力を持った蘇我氏は、なぜ一夜で滅んだのか。天皇と豪族の関係から、東アジア情勢までをも視野に入れた新時代の考察。

特に意識はしていなかったのだが、積読ふくめれば案外この時代の本買っているなあ、なぜかは分からんが、日本の古代史の歴史の本は源平の頃のとこの時代のところを少しずつくらいしか読めていないので、平安時代の歴史の本もそろそろ読まなくちゃなあ。最近、「センゴク」も読んでいるから、戦国時代も読みたくなってきて、ただでさえ本の消化が追いつかないって言うのに困るなあ。
系図が入っているのはありがたい。
蘇我氏武内宿禰の子孫という擬似的な同族関係。『「王仁」の後裔を称する豪族たち』(P101)、
倭漢氏、『実際に彼らが元来、同じ一族だったかどうかは疑問で、その実態は「王権への職務奉仕を前提として作り上げた擬似的な同族団組織」(加藤健吉)であったとされている。』(P96)など、古代の擬似的な同族集団は一杯あったようなのでその話も読んでみたくなったなあ。
一章で蘇我四代の歴史を述べ、その後の章で謎の検討をするという形式は読みやすくていいなあ。
蘇我とか物部とか大伴といった氏の名が実際に名乗られ始めたのが六世紀前半から中頃以降であって』(P82)蘇我は後に付けられた名前だって話もなんか聞いたことあるけど、それは当て字がということかな?それとも記憶違いか。
『僧旻は、「吾が堂に入る者、宗我太郎(入鹿)に如くはなし」といった。そのあとの文章は、鎌足伝ゆえの鎌足賛美であろう。師から高い評価を受けたのはあくまで入鹿であった。』(P186)
蘇我氏は官僚的な面と豪族的な面があったが、豪族的な面が強くなりすぎたから滅ぼされた。官僚的な氏族であったというのは滅亡の時のあっさりさを考えると、その前に滅ぼされた物部と比べると、納得できる。
山背大兄王の殺害は、入鹿の独断でなく諸王の同意があり、他の改新政権の主要メンバーが加わっていたことから、中大兄皇子中臣鎌足もこの攻撃に関わっていたのではないかという説は確かに信憑性あるなあ。