米・百姓・天皇 日本史の虚像のゆくえ

米・百姓・天皇 日本史の虚像のゆくえ (ちくま学芸文庫)

米・百姓・天皇 日本史の虚像のゆくえ (ちくま学芸文庫)


内容(「BOOK」データベースより)
日本とはどんな国なのか、なぜ米が日本の歴史を解く鍵なのか、通史を書く意味は何なのか。きわめて枢要でありながらも、これまであまり語られてこなかった興味深い問題の数々。先鋭的な現代日本史学の泰斗、網野善彦石井進が、古代律令制から明治時代に至るまでを、エキサイティングに、そして縦横無尽に語りつくす。対談形式のため、高度な内容であるにもかかわらず、読者にも理解しやすく、読み進むにつれ、この日本という国の真の姿が眼前に立ち現われてくる。今までイメージされてきた国家像や、定説とされていた歴史観に根本的な転回を迫る衝撃的な書。

江戸時代の農、『養蚕やたばこ、果樹も農業からはずしてしまうと――これにはご異論があるでしょうが――穀物の農業は、四〇%ぐらいになると思います。三〇%から四〇%ぐらいになってしまいます。逆にいうと、広い意味の工、商を加えてみるとそれとどう比率ぐらいまでは確実に上がると思いますね。』(P60)農業っていわれるとイメージするのが、穀物、特に米の生産だから、江戸時代の穀物を生産している農の割合が4割程度というのは少なく感じるな。まあ、農が78%という公式統計はパッと見でも確実に疑問が生じるような割合だけど。
『網野 狗奴国は倭国ではないでしょう。
 石井 狗奴国は倭人ではないの?少なくとも倭国の支配化には入っていないです。
 網野 さて、毛人なのか、倭人倭国の支配化には入っていない人かわかりません。毛   人は倭人ではないでしょう。われわれは毛人なんです、関東人の多くは毛人です』(P179)狗奴国、そうなのか。なんとなく古代で国名がでてくるのはなんとなく全部倭国だと思っていた。
『網野 非常に重要な問題だと思います。江戸時代を通じて、この見方で通せると思います。三大改革は大体、農本主義で、元禄とか文化文政は重商主義という具合にね。しかしとくに興味深いのは農本主義のときは「合議」なんですよ。重商主義のときは「専制」なんです。佐藤進一さんのおっしゃっている「合議」と「専制」がこういう形にもなるのです』(P187)「合議」か「専制」かで農本主義重商主義かが分かるのは面白い。
伊藤正敏さんの解説がよかった。『留意していただきたいのは、この本には他の本にあまり書かれない日本史の基礎知識が――御両人には自明の常識かもしれないが――ちりばめられていることである。特に石井氏の発言は諸簿すべてそういってよい。覚えて損が無いというより、知らないと恥をかく種類の知識だ。主なポイントを挙げておこう。』(P271)「一 律令制虚構論」、「二 日本文化=稲作文化の虚構」、「三 士農工商の虚構」、「四 仏教は商工業親和的、儒教は農業主義」、「明治政府史観からの脱却」。