ヤマト王権〈シリーズ 日本古代史 2〉

ヤマト王権〈シリーズ 日本古代史 2〉 (岩波新書)

ヤマト王権〈シリーズ 日本古代史 2〉 (岩波新書)

内容(「BOOK」データベースより)
日本列島にはじめて成立した全国的な統治システム、ヤマト王権。その始まりはいつだったのか。初代の「天皇」とは誰なのか。王宮や王墓の変遷は何を物語るのか―。「魏志倭人伝」など中国の正史や金石文ほか、貴重な同時代史科に残された足跡を徹底的にたどり、ひろく東アジアの動きを視野に、多くの謎を残す時代の実像に肉迫する。

古代史、もっと読みたいとは思っているが、著者がトンデモ系で無い信頼できるかを選ぶのが面倒であまり読めていなかったので、こうした安心して読めるシリーズが新書で刊行されてくれているのは嬉しい。
宮崎市定さんの「古代大和朝廷」もそろそろ読もうかな。
近畿地方の「大和(夜麻登)」は乙類の「と」、九州の旧筑後国山門郡や旧肥後国菊池郡山門郷は甲類の「と」となる。音節で言えば、近畿説が有利となる。』七世紀以前の日本語の母音は8つ(乙類「i,e,o」(の上に点が二つついた字)があった)、邪馬台国の「台」も乙類。そういう点でも近畿説の方が有力なのか。
でも、wikiみたらそれで確定ではなくて、『昭和50年代に入りこれに異を唱える学説が相次いで登場し、結論は出ていない。詳細は#8母音説への反論を参照。長期に渡り定説とされた8母音説の各方面への影響は大きく、8母音説のみを根拠として否定された学説も多い。(上代特殊仮名遣 - Wikipediaより)』のように、違う説もあるよう。


卑弥呼が魏の皇帝から送られた「銅鏡百枚」に画文帯神獣鏡がふくまれることはまちがいなく(三角縁神獣鏡も含まれる)』(P21)ん?三角縁にオリジナルがあって、それが、、という意味?
前方後円墳には近畿地方を起源とする要素はほとんど無く、列島各地における弥生墳丘墓の総合化という性格を持っていたということである。墳丘の形態などの可視的部分でいえば、ほとんどが近畿以外の外部的要素から作られていたという(北條芳隆「前方後円墳倭王権」)。』(P50)近畿特有の要素がそれほど無いというのは以外。