源頼朝

源頼朝 (岩波新書)

源頼朝 (岩波新書)

内容(「BOOK」データベースより)
王朝の侍大将から中央権門への道を歩んだ平清盛に対して、頼朝の指向した方途は何であったか。関東武士団の棟梁として後白河法皇の政略といかに渡り合ったか。鎌倉に武家政権を樹立する過程で、弟の範頼と義経を排したのはなぜか。時代と個人のからみ合いをダイナミックにとらえ、激動の時代を生きぬいた政治家頼朝の実像に迫る。

50年も前の本だけど非常に読みやすくて、面白い頼朝の伝記。
頼朝の右兵衛佐というのは、平治の乱の最中に貰った官位なのか。
『当時清盛の六波羅政権は表面繁栄をほこっていたが、実はすでに院や寺院勢力とのあいだの分裂が表面化しつつあったときであり、時政ほどの人物をもってすれば、平氏の没落もすでに見通しえないとはいえない時に達していたのである。』(P27)時政ほどの人物をもってすれば、って時政の評価高いなあ。
荘園整理令で摂関家以下権門の荘園は上司たちの所領だから手を出しがたくて、国司たちが寺社領荘園の整理を強行していたので、院に強訴して要求を突きつけるようになった。強訴の始まりはそこか。
『長子頼家が生まれるのは寿永元年八月のことであるが、この前後頼朝は新田義重の娘や亀前を寵愛したりして』(P109)新田の娘は、断られて怒ってなかったっけ?
『義仲の進出以後、院も貴族も頼朝の入京を切望し、とくに後白河は、中原親能を鎌倉に送り』(P126)中原、元は院側の人?