沈黙の中世

沈黙の中世 (平凡社ライブラリー)

沈黙の中世 (平凡社ライブラリー)

内容(「BOOK」データベースより)
文献史料が沈黙する空白を破って、発掘された遺物や遺構が、見慣れぬ歴史世界を鮮やかに示す。三人の中世史家は胸躍らせて、未踏の問題領域を、その巨大さを議論しあう。埋められた銭の不思議さ、列島の枠を超えて異域と通じ合う北の世界の意想外の豊かさ、鉄の技術とかかわる地域と文化の変容の深さ―都市、交通、富、遍歴…、多様な問いをえぐりだすいまなお先鋭な問題提起の書。

歴史家が語る考古学の鼎談。銭、一さし毎が90台後半から100までがもちろん一番多いけど、それ以外に80枚台で一さしや100枚を越えて一さしという例もありかなりバラけていて、いままでは96枚で一さしというのがいつの時代でもそれが決まりだと思っていたので、決まりがなかったようなのが驚き。
銭を埋蔵したら、自分でも掘り出せなくなるということには驚きだが、神仏にささげているにしても、なぜ寺社に寄付せず銭を埋めていのか。
『いま、アイヌに対して、和人という言い方が通用していますが、これはどうもかなり新しいようですね』(P77)和人という言い方、かなり(ってどのくらいかわからんが、近代とか?)新しいものだとは知らなかった。
『網野 だから東北北部と北海道南部は、藤本強さんの表現でいえば、「ボカシの地帯」(『もう二つの日本文化』東京大学出版会)なんです。』(P100)なるほど!和人、というかなり新しい語のせいで日本人とアイヌときっぱり別れているように感じてしまっていた、よく考えりゃ日本人(和人)でも古代から一つの集団ではなく異民族同士(倭人、毛人、隼人、熊襲蝦夷〈(エゾでなく)えみし〉)だったんだから、血的にも色々だしね。
『国家的な強制労働を前提とした調庸の鉄生産には砂鉄が向いており、経済的に有利で投機的な交易用鉄生産には岩鉄製鉄がより適合的であった、とみることができるのです。もちろん岩鉄製鉄には資源の枯渇ということを考慮しなければなりませんが、その後のわが国の砂鉄の盛行には、公民の単純労働力として調庸鉄生産が強制されたという歴史的事実も、無視できないと思うのです。』(P156)そんなこと考えたこと無かったが、なるほど、そんな理由が。
『石井 矢部良明さんの説では、焼きもの職人は専業も専業、プロでなければできっこない、とにかくリスクのきわめて高い企業なので、これはもう技術がなければどうにもならないと……。だから、瀬戸から職人が次々にどこに移ったとなどということは考えられないそうですね。原料がなくなったとでも言うなら別だけど。それまである程度操業していて、安定していた場所を捨てて、どっかへ移るということは考えられない、と……。
 各地にどんどん広がっていくのは、ひとつは在地のほうの主体的な要求で、技術伝承に来て職人が戻るとか、あるいはなんらかの公的な給与というような条件をつくった上で招き寄せるか、どちらかでないとおかしい。職人の遍歴の形で窯がどんどん移っていく、ということは考えられない、と言う。そういうふうにうかがって、なるほどそうかな、とも思うのですね。非常にリスクの大きいものだと言われれば、たしかに、いまでもかなり失敗の確率があるわけでしょう。』(P210)焼き物職人は遍歴せじ。