源頼朝の世界

源頼朝の世界 (中公文庫)

源頼朝の世界 (中公文庫)

平氏による貴族政権を潰滅させ、華やかに歴史の表舞台に登場した頼朝と、北条政子や東国武者をめぐる激烈な抗争のドラマ。〈解説〉尾崎秀樹

中央公論新社 ホーム > 文庫 > 源頼朝の世界より)

山木兼隆、流人として伊豆に来て、目代になるのは挙兵直前。山木との婚姻の晩に頼朝のもとへ逃げた、真偽不明ならともかくわかっていて小説に使ったのか、挙兵以前のエピソードはそうした伝説を書かなければいけないほど少ないということかね?
義経との相剋『義経が義仲を討ち、平家を討って無類の強さを発揮したので、このまま放っておいては、自分も滅ぼされるのではないかと心配したのだとか、後白河の眷顧をうけ検非違使、左衛門少尉に任じられたことを嫉妬したとか……』(P39-40)「やる夫鎌倉幕府」を読む以前は、歴史にあまり興味が無かったので、頼朝についてそうしたイメージが無いなあ。
律令制度における征夷大将軍は、中央の官職とはいささか性格を異にする。征夷大将軍はつまりが市に出征する総指揮官であるが、彼は現地にあっては、副将軍以下の生殺与奪権を独占する。』『いちいち中央の指示を仰がないということは、王者に等しい非常大権を持つ』(P47)前から気になっていたけど昔の官職なのに、「征夷大将軍」を欲したのは、木曽義仲征夷大将軍だったからそうした着想を得たのか?と思って、「源義仲 - Wikipedia」を見たら、

吾妻鏡』などを根拠に、義仲が任官したのは「征夷大将軍」とする説が有力で、『玉葉』に記されている「征東大将軍」説を唱えるのは少数派であったが、『三槐荒涼抜書要』所収の『山槐記』建久3年(1192年)7月9日条に、源頼朝征夷大将軍任官の経緯の記述が発見された。それによると、「大将軍」を要求した頼朝に対して、朝廷では検討の末、義仲の任官した「征東大将軍」などを凶例としてしりぞけ、坂上田村麻呂の任官した「征夷大将軍」を吉例として、これを与えることを決定したという。これによって、義仲が任官したのは「征夷大将軍」ではなく、「征東大将軍」であったことが明らかとなった(櫻井陽子「頼朝の征夷大将軍任官をめぐって」 『明月記研究』9号、2004年)。

義仲は、「征東大将軍」だったのね。
入内計画、「やる夫鎌倉幕府」以外、肯定的に描いているの読んだことないなあ、というか愚行という見方がスタンダードなんかね。
頼朝が政子に最初恋文を渡そうとしたとき、最初は妹に渡そうとしたという伝説について書いてあるところで「このころすでに政子の母は死んでおり、時政は若い後妻の牧の方を迎えていたようだが」(P57)とあるけど「北条氏と鎌倉幕府」では頼朝挙兵後と書かれているから、いつ時政と牧の方が結婚したのか不明ということ?
全成、頼朝の旗揚げ後、義経よりも先に頼朝のもとへ。
三浦、千葉、上総など、頼朝が征夷大将軍になった当時も実質的にその任に当たっていたが、『正式に官の辞令をもらっていたわけでもない』(P141)というので「介」というのは自称だったのかい。
源通親、『日本史上最大のマキャベリスト』(P201)知名度低い(と思う)けど評価高いなあ。
「新古今」選ぶとき、後鳥羽は候補に挙がった二千あまりの歌を全部諳んじてしまった。というのはすごいわ。