日本の歴史 5 王朝の貴族

日本の歴史〈5〉王朝の貴族 (中公文庫)

日本の歴史〈5〉王朝の貴族 (中公文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
源氏物語はどのような世界から生まれたのか。藤原道長はどんな布石によって天皇家外戚の地位を完成したのか。洗練の極みを誇りながら権勢の争いに明け暮れた平安貴族の生活と思想を、御堂関白記小右記などの史料を駆使して鮮かに浮き彫りにする。

平安時代の歴史の本は『殴りあう貴族たち』くらいしか読んだことがなかった(と書いていて思い出したけど、岩波ジュニア新書の「平安時代 日本の歴史〈3〉」もそういうえば読んでいた、内容は忘れているけど、あと「平安の春」も)ので、amazonで評価が高かったこの本を読んでみた。
安和の変のあと、源高明と同年の異母弟、源兼明が左大臣になり賢明の聞こえが高かったので、藤原氏により九七七年に再び親王にもどされたという出来事は知らなかった。
一条天皇の宮廷こそ、やはり日本の宮廷生活の完成した姿であり、代表であるとしてよかろう』(P185)
『辞表と言っても当時は一流の文人にこりに請った漢文を作らせて出すのが通例で』(P188)辞表一つで大変だ。
『酒によって女房とたわむれる顕光 右下では実資が女房の衣装の袖口の色合いを楽しんでいる。紫式部日記絵詞より』(P209)「殴りあう貴族たち」を読んだ後からだから実資も酔っていてそういう行動をしているのに、この絵の解説ではまるで酔っていないっぽく書かれているのにはなんか笑えてくる。
清少納言、『古事談』かなり信用できると言ってもいい。とあるけど『古事談』当時そんな認識だったのか。「平安の春」で『彼女が荒屋に敗残の余生を送ったなどというのは、まったくの作り事であり、考慮のほかである。』と書いてあるのを読んでいるので、史料の評価って時代によってかなり変わるのね。
天皇と摂関、対立感よりも親近感・一体感。
刀伊の襲来に一章設けているけど、その出来事名前くらいしか知らなかったので少し気になっていたので、20ページ弱とはいえ書いてあるのは嬉しい。しかし、中央の貴族の鈍さと賞の薄さには呆れる。藤原隆家、左遷ではなく自ら太宰権帥を望んだ、と言うのは知らなかった。てっきり左遷かと。
『おはぐろの風習は、当時はまだ女性だけのようであるが、院政期には男のあいだにも行われ、さらに武士のあいだにもひろまり』(P437)「院政期には男のあいだにも」平家物語で、おはぐろしていた人がいたから昔は男もお歯黒をしていたと考えていたが、いつからだろうと思っていたのが院政期からか、逆に男のお歯黒が見られなくなるのはいつごろなのかな?
『だいたい、当時の宋では仏教学があまり進まなかったらしく、多年練りに練った日本の仏教学が、断然宋の水準を超していたことは他にも証拠があるが』(P484)日本の仏教学って、当時そんなすごかったというのは驚き。