飛鳥の都〈シリーズ 日本古代史 3〉

飛鳥の都〈シリーズ 日本古代史 3〉 (岩波新書)

飛鳥の都〈シリーズ 日本古代史 3〉 (岩波新書)

内容(「BOOK」データベースより)
舞台はいよいよ飛鳥へ。歴代王宮がこの地に営まれた七世紀、中国大陸・朝鮮半島の動乱に翻弄されつつも、倭国はいくつもの改革を断行し、中央集権国家「日本」へと変貌を遂げていった。推古即位の背景から大化改新白村江の戦い壬申の乱、そして大宝律令成立前夜まで。考古学の成果も視野に、激動の時代の実像を最新の知見で描く。

最近読むペース落ちてきている、読み終えるのに一週間もかかってしまった。いつもよりゆっくりとしたペースな分しっかりと読み込めたかというとそう言うわけでもないのに。
『木簡の解読により、『日本書紀』の信頼性は揺らぐどころか、かえって回復してきている。これまでの『日本書紀批判』と再構成は行き過ぎではなかったか』(Pvi)
天皇号、野中寺弥勒菩薩像銘文(天智五年、666年)に「天皇」が見えるので、天皇号成立時期は、天武朝でなく成立時期は天智朝以前。
扶余豊ら四十人は、正式な百済使であるが、百済宮廷の内紛の結果百済王権から排斥されて「質」として、倭に留めおかれ、倭との同盟の維持しながら、旧加耶地域領有の承認を得るための具とされた。当時の倭に自国の王族を質として差し出すというのは何でか不思議に思っていたがそういう理由があったのか。
大化の改新大化の改新否定論があるが改新の詔だけが夾雑物で、大化年間に国家体制の抜本的変革が行われたとする点で、『日本書紀』の認識・叙述は基本的に正しい。
大化改新による体制変更がなされた孝徳朝〜斉明朝を「初期律令体制」、本格的な完了・公民制が指導した天智朝以後を「律令体制」と位置づけたほうがよかろう。』(P118)
『暦の全国的普及は大化の改新にともなう<国―評―五十戸>制を基点』(P186)

近江令は完成し、施工されたと見たほうが自然であって、それを示す文献資料も二点ほど挙げることができる。』(P113)近江令は今まで、まるっきり虚構だと思っていたから「施工されたと見たほうが自然」というのには驚いた。