奪われた「三種の神器」-皇位継承の中世史


奪われた「三種の神器」-皇位継承の中世史 (講談社現代新書)

奪われた「三種の神器」-皇位継承の中世史 (講談社現代新書)

内容説明
皇位継承の証をめぐる、知られざる中世史!壇ノ浦の合戦、南北朝の対立、皇位奪還を狙う後南朝――。鏡、剣、玉という宝物を求めて繰り広げられた争奪戦を丹念に追いつつ、神器の本質をとらえなおす一冊。

『三種神器の名称が一般的になるのは、おおむね南北朝期(十四世紀)からである』(P12-13)
Amazonのレビューでも「赤松氏の記述が大半」、とあったから特に気にしなかったけど、と言うかむしろそっちの方で興味がわいたけど、タイトル通りの内容と思っていたらそこらへんの話は後半は赤松氏の話がメインになってきてしまうので、ちょっと腑に落ちない感じにはなるかも。
『しかし、実際は北朝の三種神器が嘘器であったか否かは、判然としない。あえて推測するならば、接収した北朝の三種神器をあれだけ丁重に祀ったのであるから、本物であった可能性が考えられなくもない』(P79)仮に北朝の神器が本物だとしたら、軟調の正当性が限りなく薄くなっちゃうねえ。
嘉吉の乱、無謀な挙兵でなく、天下を覆すことも視野に入れた挙兵。将軍を擁立し、実現しなかったが、南朝の子孫を天皇として擁立しようとしていた。
禁闕の変、事件名すら知らなかった。というか、『当初は「嘉吉の変」とも称されていた』って、嘉吉の乱禁闕の変もともに、嘉吉の変とも呼ぶってややこしいなあ。『禁闕の変とは、単なる後南朝一党など不満分子の突発的な叛乱ではなく、山名氏・細川氏らのある程度周到な計画の元に実行されたものではないだろうかと推測される』(P155)もし目論見通りに畠山氏を打倒していれば、大事件になったんだろうけど、実際には小事件に。
禁闕の変といい、最期の長禄の変といい初耳な事件だからよく理解できないなあ。文章は結構わかりやすく書かれているんだけど。室町時代のこと良く知らないからその時代のさらにマイナーな事件について読んでも、よくわからない。