こんなに変わった歴史の教科書

こんなに変わった歴史教科書 (新潮文庫)

こんなに変わった歴史教科書 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
昔、お札で見慣れたあの絵の人物は聖徳太子ではなく、鎌倉幕府が開かれたのも1192年ではなかった?昭和生れの歴史知識は、平成の世にあっては通用しない。歴史の基礎中の基礎、中学校教科書は、この三十年の間に、驚くほど多くの記述が書き改められている。それはなぜなのか?昭和と平成、新旧二つの歴史教科書を比較しながら、その変化の理由=史学研究の成果を楽しく学ぶ。

山本博文さん、「はじめに」と「おわりに」だけかい。
『中学校の教科書は、じつは日本史教科書ではなく、歴史教科書なので、簡単ながらも世界史の記述も含んでいる。』(P10)へえ。
三内丸山、1500年も続いたのか、長く続いた集落とは知っていたがそんなにとは知らなかった(もしくは忘れていた)。
エミシ『「弓師」の転訛で武人を示すとするせつが細粒力で、「東国の武者」といった意味合いが強く』(P65)
歴史学会では明治時代以降、もっとも有名なG説ではなく、D節が通説だった。』(P76)G説=1192、D説=1185。じゃあ、なんで昭和まで、1192だったんだ?戦前は天皇重視した歴史だろうから仕方ないにしても、戦後まで。
武田騎馬隊、騎馬だけで作った隊がいなかったというのはそりゃそうかと納得だが、「ポニー」並みの軍馬って、馬の能力に体高は関係ないらしいのに、一々付け加える必要あるかな。
『長崎で貿易と居住を許されていたオランダ人と中国人が、江戸時代初期には上陸前に絵踏をしたという記録が残されている』(P148)「オランダ風説書」では書かれていなかったが、イギリス人が貿易再開するために来たときにオランダ人もやっているといわれ、絵踏をしたが実際はオランダ人はやっていなかったという感じの記述はあったが、初期にはそんなこともあったのか!
『田沼家の家臣たちは寄せ集めであって、その統制は容易ではなかった。加えて当主の意次は、朝から晩まで幕政に忙殺され、家中を顧みる余裕はなかった。その結果、家来たちによる収賄や不正行為が生じやすかったと言えるのである。』(P168)田沼、通説的な賄賂政治のイメージどこから来たのかと今まで疑問に思っていたけど、家臣たちの行動から着たのか!