長崎唐人屋敷の謎

長崎 唐人屋敷の謎 (集英社新書)

長崎 唐人屋敷の謎 (集英社新書)

内容(「BOOK」データベースより)
江戸時代の長崎に、唐人屋敷という中国ワールドがあった。鎖国政策を実施した徳川幕府の貿易の中心は、出島よりもこの唐人屋敷だったのだ。高い塀に囲まれた一画に、長崎奉行の厳しい監視のもと、多いときには二、三千人の中国人たちが暮らしていた。彼らは貿易を通じて、様々なモノや文化を日本にもたらした。特別な役人や遊女だけが入ることができたという唐人屋敷とは、どのような世界だったのか。残された史料や絵図をもとに、その実態を明らかにする。

専門の人じゃないから、難しくなくて読みやすい。
江戸時代の長崎の人口は、ピークで6万5000。うーん、そんなもんか、案外少ない。
長崎、近辺では豚や牛も飼っていて、市中でも残ったの売っていた。だが、『日本人の中にも肉類を口にする人びとが存在していたと断言できそうだ、と思った。ところがそうではない。禁止されていていた肉食を密かに続けていたのは、実はカクレキリシタンで』(P59)とあるが数ページ前に『長崎では「猪(ルビ:ぶた)を江戸抔(ルビ:など)にてマグロを売歩がごとく、たち売にぶたはぶたはと売也」』(P56)と堂々と売られているようだから、なんで肉食する日本人はみんなカクレキリシタンみたいに感じる書き方してるの?
唐人屋敷からずっとでれないというわけでなく、時代によっては紀律が緩んで、市中を自由に徘徊したりしていた時代もあった、ということには驚いた。
抜荷(密貿易)、壁の下に穴を掘ってトンネルにして外との出入りを自由にして密貿易していたという犯罪があったというのは、なんか小説や海外のニュースであるような話で驚き。
日本は銅の生産量が、17世紀後半から18世紀前半にかけて世界一だったと推測される。とあったが、銅がそんなに産出していたのは知らなかった。