宗教で読む戦国時代

宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ)

宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ)

内容(「BOOK」データベースより)
宣教師も驚いた戦国日本人の高度な精神性。その「ゆるやかな宗教性」のバックボーンとしての「天道」思想をキーワードに、一向一揆キリシタン論争から島原の乱まで、日本人の心性に新たな光を投げかける。

色々勉強になる部分が多く、引用部で長くなりそうなので2つに分けます。とりあえず二部まで。面白いから、同著者の「島原の乱」もそのうち読もう。
『日本独自の伝承もまた育っていった。釈迦の一生を描いた「仏伝文学」というジャンルの説話がそれであり』(P28)独自?どこでもありそうな気もするけどなあ。
『人間の「理解力、自由意志、記憶力」なども肉体が衰え、老化していけばやはり衰えていくではないか。こうした属性は「総て肉体に変質していく」のであり、死ぬときには消滅してしまうだろう。どうしてこれらの属性が不滅の霊魂の証なのか、「不死の兆候」でさえないではないのか』(P44)宣教師と禅僧の話。コピペとかでよく見るけど、フロイスの報告がもとなのね。
日本在来宗教がキリスト教と似ていると、宣教師達は感じたことはちょっと意外。
「天道」思想。「神仏」、『近年では、現実にはさまざまな名称の神仏が信仰され、崇拝されてはいたが、それらは本質的に同じものと考えられていた』(P58)
キリスト教、在家集の信仰は、成田山とか清水寺が近い。まあ、聖者信仰とかはじめて知ったとき今までのキリスト教のイメージに無くて驚いたが、そうしたのを考えれば一神教多神教の境目って案外ないのかもねえ。GODが「天道」で聖者が「神仏」とかんがえれば確かに似ているかも。実際に戦国時代に「天道」思想があったかどうかは知らないけど、面白い考え。
中世では天台、真言が中心で、鎌倉新仏教は少数派。
『仏法のさまざまな教えは、結局は方法の違いに過ぎない、という見解は無住一人のものではなく、鎌倉時代では(それに南北朝時代にも)かなり根強いものであった。』(P72-73)『戦国時代にもこうした見方は、さらに発展していく。』(P73)「諸宗は同一」
真宗本願寺派でも神仏習合の思潮があった。
葬祭をするのは『魂の不滅を確信しているからそうするわけではなくて、古くからの習慣であるためであり、このことに関する世俗的な評判のためである。』(P84)『ルイス・フロイスは「日本人は、大部分が死後には何も残らないと確信しており、子孫による名声において自分が永続することを望んでいるので、なにをおいても尊重し、彼らの幸福の大きな部分としているものの一つは、死んだときに行われる葬儀の壮麗と華美とである。」』(P84-5)葬祭は「古くからの習慣であるためで」しており、「日本人は、大部分が死後には何も残らないと確信して」いるというのは現代でもそう変わってないから、こういう思想はそんな昔までさかのぼることだというのは驚き。
『それぞれ教義も行動様式も違ってみえる諸宗派は、じつは同一の思想的枠組みの中に収まる、共存可能な教団であり、それは「天道」思想を共通の枠組みとしていたということである。夙に尾藤正英氏は、近世日本の宗教を「ある共通の宗教的心理」を共有し、神道、仏教、民俗宗教の三者が「一つの体系ある宗教」を構成していたと見ることのできる余地を指摘されたが、異常述べ来ったことからみれば、戦国仏教の諸宗派に、少なくとも「ある共通の宗教的心意」が想定することはできるように思われる』(P87)