ある明治人の記録

ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252))

ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252))

明治維新に際し、一方的に朝敵の汚名を着せられた会津藩は、降伏後、下北半島の火山灰地に移封され、藩士は寒さと飢えの生活を強いられた。明治三十三年の義和団事件で、その沈着な行動により世界の賞讃を得た柴五郎は、会津藩士の子であり、会津落城に自刃した祖母、母、姉妹を偲びながら、維新の裏面史ともいうべき、惨苦の少年時代の思い出を遺した。・城下の人・で知られる編著者が、その記録を整理編集し、人とその時代を概観する。

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明治の人の日記から戊辰戦争のことを抜粋して、それに解説入れるといった感じで進んでいく歴史読本と思っていたので、戊辰戦争から西南戦争までの自伝がそのまま入っているのに、ちょっと吃驚した。最初昔の文章(といっても60年くらいだけど)だから、ちょっと読むのに時間がかかるかと思ったが、案外読みやすく、さくさく読めた。まあ、60年程度しか時間が隔たってないからそりゃそうだろうけど。
金銭、『年に一回盛夏のころ、鎮守諏訪神社の祭礼の日にかぎり銭を使うことを許され』(P13)『風雲児たち』で読んで知っていたけど、やっぱり経験談として書かれていると感じるものも違うものだね。
『戦闘に役に立たぬ婦女子はいたずらに兵糧を浪費すべからずと籠城を拒み、敵侵入とともに自害して辱しめを受けざることを約しありしなり』(P24)『戊辰戦争』でも読んだがすごいな、これ。
負けて、江戸へ俘虜になって行く道中の描写は本当に哀れに感じる。
『春になりて頭髪抜けはじめ、ついに坊主頭のごとく全体薄禿となれり』(P65)栄養不足のためか、食べるものがなく犬肉を二十日間毎日食べていたための栄養の偏りか知らないが、子供がそんな状態になるのは悲惨だ。
ラスト近くには救いがあるのが、救いだ。彼らにとって仇敵を討てる機会でも、戦争を救いといってはいけないのだろうが。