逝きし世の面影

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)


内容(「BOOK」データベースより)
「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうる限り気持のよいものにしようとする合意とそれにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ」近代に物された、異邦人によるあまたの文献を渉猟し、それからの日本が失ってきたものの意味を根底から問うた大冊。1999年度和辻哲郎文化賞受賞。

これも評判高いから読みたくなって購入、こうした歴史の本での評判は天邪鬼が起きて読みたくならずに、素直に受け止められるから不思議。個人的には「日本近世の起源」の方が好きかなあ。
『江戸時代後期においては「課税は没収的ではなかった」し、「時とともに軽くなったのである」』(P118)江戸時代、飢饉がしょっちゅうおこっているという印象だから、豊かと言うイメージは薄かったが、基本的には農村は時がたつごとに負担が軽くなり、豊かに。飢饉がおこった時に外国人観察者はいないだろうから、飢饉時の状況は分からんが。
『形式的外見的には一般民衆の自由があって民主的な制度をより多くもっている多くの国々以上に、日本の街や田舎の労働者は多くの自由をもち』(P271)と言われたのは、近代の市民的自由ではなく、共同体の自由で、共同体に所属することで得られるもの。そして、当時のヨーロッパではすでにはるか以前に清算されたもの。
『徳川期は刑罰の苛酷さを含めて、建前どおりにとれば、甚だ不自由な時代であった印象を受けかねない。だが、建前と現実の間にははなはだしい乖離があり、建前の不自由さが実際の運用によって大いに緩和されていたことは、近年大方の論者の承認するところとなっている』(P273)江戸時代が不自由に見えるのは、建前(ルール)は厳密に守ら、運用されていた、あるいはされていて当然だ。という近代的な視点から見た見方なのかね。
江戸時代、身分が高いほど縛りがきつく、下に行くほどそうした掟が緩やか。
『平伏を含む下級者の上級者への一見屈従的な儀礼は身分制の潤滑油にほかならなかった』(P284)ので、その態度に観察者は奴隷的なものを認めなかった。『「青少年に地位と年齢を尊ぶことが教えられる一方、自己の尊厳を主張することも教えられているのである」』(P278)こうした感想が述べられているのは、意外だ。
『化政期の庶民の女が、男か女かわからないべらんめえ口調でものを言っ』(P372)ていたというのは初耳でもない気がするが、すっかり忘れてた、と言うかそれを読んだ当時はきっとその記述に特に何も感じなかったんだろうなあ。庶民は夫との関係も対等。
『それは、色合こそ多少異なれ、かつては西洋にも存在した心的世界である。しかしそれは、西洋ではつとに滅び去った世界であったゆえに、十九世紀の欧米人に古き日本の特性として印象でけられた』(P516)とあるように外国人が賛美している江戸の美点って、なんかほとんどが単にヨーロッパにも昔あった前近代的なもののように感じるなあ。それに、ヨーロッパや日本だけでなくどこでもその段階の時期にはあったものなんだろうと感じる。
田園都市江戸。『これは当時少なくともヨーロッパにも中国にも、あるいはイスラム圏にも存在しない独特な都市コンセプト』(P448)おっ、ようやく日本のユニークさが。
『なるほど、日本は自然的条件に恵まれていたにちがいない。だが、彼らが賛美した日本の自然美は、あくまでひとつの文明の所産だったのだ。例えば松林は照葉樹林を破壊したあとの二次林であり、萩は原生林ではなくそういう二次林にともなう植物である』『欧米人が賛美した日本的景観は、深山幽谷のそれを除いて、日本人の自然との交互作用、つまりその暮らしのありかたが形成したものだ』(P474)幕末期の外国人の日記とかで、自然が褒められれば、今まではなんとなくただ自然のままに、つまり日本人が努力して手に入れたものではないと思ってなんとなくそんなの褒められても、と言う気がしないでもなかったんだけど、日本の文明が作り上げて当時の人たちが整備したもので、それも一つの文明の産物だったというのにはすごく衝撃を受けた。
日本人の宗教、プロテスタント系には宗教とは無縁なものと写り、ロシア正教のニコライからは真の宗教心の発露と、結構西洋でも見る人によってかわるねえ。
知識人や武士は無宗教儒教の影響。『この国の有力者たちに信仰を持っているかどうか幾度も尋ねてみた。するといつも判で押したように、彼らは笑いながら、そんなことは馬鹿がすることだと答えるのだ』(P528)こうしたような宗教は「馬鹿がすること」みたいな人が結構今でもいる気がするけど、そんな前からか根強いねえ。なんか、そういう人は、宗教ジョークにしようとして、そのネタにされた宗教の信者が眉をひそめそうなを軽い扱いしていることが結構みるので、宗教とその信者を馬鹿にして、そう扱われるのは当然でそのことに疑いを持っていないような風に見えて、どうも印象悪いが。まあ、僕が神経質すぎているだけで、実際には宗教を持っている人はそうしたのはまるで気にしないのかもしれないが。