カメラ・オブスクーラ

カメラ・オブスクーラ (光文社古典新訳文庫 Aナ 1-1)

カメラ・オブスクーラ (光文社古典新訳文庫 Aナ 1-1)


作品

「言葉の魔術師」ナボコフが駆使する込み入った比喩と描写、そしてさまざまな仕掛け。英語版とは大きく異なるロシア語原典の独特の雰囲気を活かし、細部の緻密な面白さを際立たせた野心的な新訳。


内容

裕福で育ちの良い美術評論家クレッチマーは、たまたま出会った美少女マグダに夢中になるのだが、そこにマグダの昔の愛人が偶然姿をあらわす。ひそかに縒りを戻したマグダに裏切られているとは知らず、クレッチマーは妻と別居し愛娘をも失い、奈落の底に落ちていく……。

(光文社 古典新訳文庫ラインナップ> カメラ・オブスクーラより)

文学的にどうこうがわからないので、面白さがわからん。「ロリータ」は文学とかわかんなくてもそれでも面白かったので原型という文句が帯にあったから過大に期待しすぎてしまった。
うーん、こういう恋愛のグロテスクな関係で、後味の悪いものは苦手だ。しかし、嫌いな3つの要素が入っていても、読み終えてつまらなかったという感想にならないのは不思議。「ロリータ」には、最後まで面白く読ませる物語の動きがあったが、これはそうした動きに乏しいのがな。「ロリータ」の場合、ハンバート(だっけ?)の独り相撲で物語が進んでいくのとロリータの年齢があるし、そもそもロリータ自体ハンバートに好意を持っていないのがわかっているからひどい目あっても当然だと思える(というかもしかして、ハンバートってひょっとしてひどい目あってないんじゃ?)が、クレッチマーはマグダには特に悪いことしてない(年齢的にも当時はたぶん大丈夫なんじゃ?)のに失明したあとのああいう仕打ちをしているのにはひたすら不快、単にいくらか金を盗って捨てるとかよりも酷い。
次は「セバスチャン・ナイトの真実」を読むか。それか感想を書いていたらなんか「ロリータ」を再読したくなってきたのでもしかしたらそっちを再読するかも(ページ数が多いから可能性は低いが)。