大久保利通
- 作者: 毛利敏彦
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1969/05/01
- メディア: 新書
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維新の志士には、夭折したものや暗殺されたもの、過剰な理想主義や正義感のため政府の主流から離れていった者が多い。大久保は一貫して政治の中心に位置し、破壊と建設と二つながらやった。旧体制破壊にさいしては、薩摩藩を挙げて運動の主体たらしめるべく、あらゆる手段を通じて藩中枢に接近し、それを掌握した。新体制確立にさいしては、漸進主義を押し通した。かれのこの政治家としての資質はいかに育てられたか。
こうした人物伝はあまり読んだことなかったが、面白いな。維新前夜の群像、このシリーズ大分前のものだけど、ちょっと集めてみようかな。
調所広郷、『超人的な努力』(P6)とあるけど、借金踏み倒しという印象が強すぎて普通に褒められているとなんだかすわりが悪い。
薩摩、島津斉彬『「開物館」という研究所を設け、高野長英。川本幸民、松木弘安ら著名な洋学者をあつめ』(P14)えっ、長英!『風雲児たち』ではそんなエピソード無かったけど、どうなんだろ。40年前の本だから当時はそう思われていたというだけなのかな?
『イギリスと戦ったということで、藩内の実情とは逆に、薩藩は、攘夷運動のチャンピオンと世間に誤解された。』(P63)薩英戦争の印象が強くて今まで、攘夷派という印象が強いかったけど、そういえば久光は公武合体派だったな、しかも開国派か。
西郷呼び返し、そのときには『西郷よりも久光にいっそうの親近感』(P76)
『このまま慶喜が自重したならば、クーデターは腰くだけになり、慶喜は政府に迎えいれられ、その指導権が確立したであろう』(P127-8)慶喜、歴史の本のどれ見ても、ダメダメだな。まあ、どういう意図でその行動をしたかが見えにくい人だから、小説ならともかく歴史書では推測になってしまうから幾つか説を記されても断言できないからぼんやりした印象になってしまうし。
『会計官に出仕していた五代友厚』(P158)政商という認識しかなかったが、政府初期に参政していたのか。