幕末維新と佐賀藩

幕末維新と佐賀藩―日本西洋化の原点 (中公新書)

幕末維新と佐賀藩―日本西洋化の原点 (中公新書)

内容(「BOOK」データベースより)
明治維新の原動力となった「薩長土肥」の雄藩だが、肥前=佐賀藩の影は薄い。しかし西洋の先進技術を最も蓄積した佐賀藩は、英明な藩主・鍋島閑叟のもと鉄製大砲を製造。幕末期、技術力で幕府や他藩を圧倒し、閑叟は新政府のトップに躍り出る。また開明的な藩士が多数輩出し、江藤新平は教育・司法に「西洋丸写し」とまで称される大胆な制度を導入する。佐賀の乱以降、薩長政権下、活躍が軽視された同藩の真の価値を描く。

薩長土肥の中で一番、印象の薄い藩なのでどんな藩だったんだろうと気になって読む。あと幕末では芸州藩とかもどんなことしていたのかがわからない、のでそれについてもいずれ読まなくちゃ。
『長崎でプチャーチンが目にしたのは閑叟が用意した堅固な対外防御施設だった。石垣で整然と築かれた台場には、精鋭の鉄製大砲がずらりと並べられて海面を威圧していた。そのこともあってか、プチャーチンは意外に低姿勢を見せた。』(P46)ゴンチャロフの本で読んだ印象とはまるで違うので、そうだったのか、と新鮮な思い。
あいかわらず、何度読んでも鳥羽伏見での慶喜の逃亡はわけわからんなあ。
版籍奉還、維新の激動で下克上の風潮が高まったため『将軍から授けられた領主権の法的根拠が薄弱になり、あらためて天皇名で再保障してもらいたいという魂胆』(P117-8)なんで版籍奉還をしたんだろうと思ったが、そういう理由か。
江藤新平、近代司法の父。たとえば、遣外使節団がいない間に薩長閥が弱体化していたので、なんとなく藩閥の対立という感じに理解していたが、単に近代司法的な観点からそうした事件を追及していたのかなと思うようになった。真実は知らんが。
明治六年の政変、土肥を排除する伊藤・大久保の反対派放逐クーデター。同著者が中公新書で書いている「明治六年の政変」があるので、そのうち読もう。
佐賀の乱、実際は叛乱の兆候なく、大久保の陰謀。だが、そうまでして江藤を殺そうとする理由付けが、著者は「大胆な想像」と断っているが「強烈な嫉妬心」と想定しているが、他にもなんか理由は無いのか気になる。
前読んだ「大久保利通」と同作者だけど、大久保のイメージが全然違うね。「大久保利通」が出たのはこの本と40年くらい出版年が違うからそのせいかね。