勘定奉行 荻原重秀の生涯

勘定奉行 荻原重秀の生涯 ―新井白石が嫉妬した天才経済官僚 (集英社新書)

勘定奉行 荻原重秀の生涯 ―新井白石が嫉妬した天才経済官僚 (集英社新書)

内容(「BOOK」データベースより)
膨大な著述を残した新井白石によって、一方的に歴史の悪役に貶められた勘定奉行・荻原重秀。五代将軍綱吉時代後半の幕府財政をほぼ掌中にし辣腕をふるった。マイナスイメージで伝えられる元禄の貨幣改鋳だが、物価上昇は年率三%弱にすぎず、それも冷害の影響が大きい。金銀改鋳以外にも、各種検地、代官査察、佐渡鉱山開発、長崎会所設置、地方直し、東大寺大仏殿建立、火山災害賦課金など、実に多彩な業績を残している。本書は、金属貨幣の限界にいち早く気づいた荻原重秀の先駆的な貨幣観に着目しつつ、悪化の一途をたどる幕府財政の建て直しに苦闘し、最後は謎の死を遂げるまでの生涯を描く。

新井白石の重秀批判、そんなに嫌いなのか白石(笑)ちょっと理解しがたいレベルでの嫌いっぷりだ。
白石と重秀の生家はすぐ近くというので、幼少期に出会っていたかも、という想定にはちょっと妄想が湧き出そうだ。
上司の高木善左衛門との密接な関係、2度目の妻の父が又従兄弟だから、高木の紹介だろうというのは、ちょっと現代なら考えられないような一族の関係の広さで、江戸時代と現代のギャップを、こういう細かいところで一番かんじるなあ。
感情吟味役になった重秀、就任して一年半で『十六名の代官やその子供が斬首・切腹流罪、免職、相続不許可、逼塞などの処分を受けた』(P84)こういう苛烈な処分とそのイメージが、悪印象の一因なんだろうな。
佐渡金山、資本投下で大規模排水溝掘削をした、というのは、金銀改鋳のイメージが強く、他の重秀の仕事はほとんど知らなかったので、そんなこともやっていたのかという意外感が。「やる夫たちと学ぶ江戸時代」の元ネタ・種本の一つはこの本だからこの話含め結構「やる夫たちと学ぶ江戸時代」で読んだものも多いなあ。
最後の三度の銀再改鋳(非公式だが黙認)は、出目目的。重秀の死についての著者の推測・想像がちょっと陰謀説っぽいのがちょっと残念。