徳川将軍家のブランド戦略

徳川将軍家のブランド戦略 (新人物往来社文庫)

徳川将軍家のブランド戦略 (新人物往来社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
将軍の影武者は600人!?「将軍の顔を正視すると罰せられた」「将軍が通過する道には誰もいなかった」「将軍が飲むお茶にも土下座させられた」徳川幕府は将軍の権威を高めるために、その存在を秘密のヴェールに包んだ。徳川一門を除くと、将軍の顔をまともに見ることができる大名は、ごくわずかであった。「江戸三百年」の安泰を可能にした、幕府の巧妙な仕掛けを、50の視点から解き明かす。テレビや映画では知ることのできない、将軍のほんとうの姿を浮き彫りにする。

4ページごとに小さく区切られているので読みやすい
将軍には大名でも江戸城の拝謁のときに顔を拝することができない!
『御前講釈という行事がある。学問に秀でた武士や学者が、将軍の前で何かのテーマのもと抗議するのだ。その際には、将軍の顔を見ず、平伏したまま講義するのが暗黙の了解だった。』(P18)そんなところまで徹底して、畏まらせるのか。このことは初めて知ったが驚きだ。
将軍肖像画、『将軍墓所が置かれた寛永寺増上寺に収められることになっていたが、現存しているものは初代将軍家康の肖像画ぐらいである。現存している肖像画の大半は、下絵あるいは本画を模写したものなのである。』(P26)なんで散失しているのか、よくわからんなあ。
将軍、『現在の天皇が果たしている国事行為をこなす役回りが期待されていた。』(P108)
『十代将軍家治などは将棋を愛好するあまり、『将棋攻格』という本まで著したほどだった。』(P111)今まで、『風雲児たち』のイメージで無能という印象があったが、将棋の本を書くほどだから結構頭いいのか、政治のことは知らないけど。Wikiをみてみたら、評価のところに『暗君という評価は田沼意次に対する悪評価とワンセットのものであり、その田沼に対する評価が大幅に改められた現在においても、家治に対する評価はまだまだ過去の暗君説を引き継いでいるのが現状である。』とあったので、田沼の評価が悪かった時代につくられたイメージなのか。
鷹狩りする場所『御拳場では案山子を立てることもできなかった。鳥獣害に悩まされる農民にとって、そうした処理が非常に迷惑だったことはいうまでもない。さらに、鷹狩りの段になると、将軍と家臣たちは鷹が獲物を追うのに合わせて走り回る。その結果、農地が踏み荒らされてしまう。』(P167)鷹狩りをする場所は今まで、ずっと単なる山野で自然のままだと思っていたが、その中にも農地とかがあったのか!