天下の副将軍 水戸藩から見た江戸三百年

天下の副将軍―水戸藩から見た江戸三百年 (新潮選書)

天下の副将軍―水戸藩から見た江戸三百年 (新潮選書)

内容(「BOOK」データベースより)
名誉を尊び、清貧な文化を育み、独自の世界観と天皇論を唱える水戸学を確立し、激動時に徳川将軍家のブレーンとして活躍した水戸徳川家。数奇な運命の「黄門様」こと徳川光圀による日本史研究事業や「御三家」への昇格工作、幕末の藩主・斉昭による奇抜な産業振興策、最後の将軍・慶喜誕生への計略など、日本史の転機に登場した最も清貧で最も苛烈な水戸藩の知られざる全史。

甲府・館林など徳川性の藩(しかも石高の面で水戸とほぼ同格)があったので、実際に御三家が定まったのは一八世紀に入ってから。
近衛家後水尾天皇実弟が養子として入っていたということは知らなかったので驚いた。
南朝正当説、当時の朝廷を抑える理論だった。徳川は新田の支族である世良田氏の子孫を主張していたので『南朝が正当王朝であるという主張は、南朝遺臣こそが真の忠臣であり、天下の治世を担うにふさわしいという考えを導くであろう』(P81)という意図から南朝正当説をとった。
天皇易姓革命を加えられずに神聖でいられるのは、現実には政治を執らずに、ただ権威としてのみ存在したからだ。』(P163)というのが、水戸学の基本的な学理ということは、現在の天皇観というのは案外水戸学とほとんど変わらないのか、ちょっと意外だ。
他にも『水戸学では、異国を侵略することは野蛮な行為とみなしていた』(P165)など、案外現代の見方と対して変わらないように感じるなあ。どちらも長年戦争がない泰平の時代だから、そうした状況だとそういう考えになるのかな。

『実は「将軍・尾張紀伊御三家」説は、江戸の初期からあったもので、水戸家にとっては憂慮の種だった。』(P94)「風雲児たち」で水戸家の人がそういって、水戸家を副将軍と呼ぶシーンがあったので、水戸家が言い出したのかと思っていたら、そうでなく、江戸初期から流布されていた説だったのね。
斉昭の兄・斉脩に子供ができず次の軽視を決めるとき、清水派(門閥派)と敬三郎派(藩政改革派)とで家中で対立があったと知らなかった。門閥と改革派の対立はここから鮮明に。
コレも「風雲児たち」のイメージだけど将軍から押し付けようとしていたのを弟がいるからといって養子を取らなかったと描かれていたのが印象に残っていたから以外。斉昭の兄・斉脩は遺言で斉昭を次期藩主へという指示をしていたというので、そこはイメージがそんな違わないからいいけど。
水戸藩の財政が慢性的な不足状態に陥り、幕府の援助に依存していたことは前章で述べたとおりだ。このために重臣たちは将軍家から継嗣を迎えることさえ考えた。これを排して藩主となった斉昭が、ますます幕府からの助成金に頼る大成を深めたのは皮肉なことだ。』(P146)なんで斉昭は援助を引き出せたのだろうと思ったが、自身の理念にそむいて老中などの諸役人や大奥の人に金品を送って、援助を引き出していたのか。
水戸藩は光圀の時代に、快風丸を仕立てて、蝦夷地探索を行ったことがあった。北方に領地を持ちたいという考えは、その頃から水戸藩に芽生えていたものと思われる。』(P154)光圀と斉昭の間の時代の北方(蝦夷地)と水戸藩の話は聞いたことないから、「その頃から」といわれると違和感が。斉昭が、光圀から云々と考えていたというのなら考えられるけどさ。
斉昭、洋書を翻訳させたり、北方に築く城の設計図が五稜郭の原型のような西洋風のものだったりなど、西洋について無知ではない。まあ、そうじゃなきゃ反射炉つくったり、西洋式帆船(やばい、厄介丸としか覚えてないやw)作ったりしないか。
『斉昭は開国やむなしとの考えを抱いていたことが、今日では明らかになっている。』(P170)そうなの、と一瞬不思議に思ったが、開国を迫られ通商したいならこちらから船を出して貿易せよという意見を出したくらいだから、外国との交流を特段嫌悪しているわけではなかったし、それを思えば納得。
斉昭も慶喜(『孝明天皇と「一会桑」』で読んだが)も根回しが苦手というのはそこのところは親子だなと思う。
幕末、門閥の市川、尊攘派(鎮派)、筑波山で決起した尊攘派(激派)、更に江戸から離れられない藩主の慶篤から、目代として藩内鎮撫を依頼された、連枝の宍戸藩主松平頼徳がいて、それが離合集散しているため、すごくわかりにくいったらありゃしない。その後、更に幕府の追討軍が来たりするから余計カオス。
しかも藩主の目代の頼徳が、市川派の姦計で拘束され切腹させられるなど、唖然とするような状態に。
『市川らの独裁体制は次第に露骨になり、門閥派でも彼らに批判的な物は、蟄居や東国をされるようになっていく。そのいっぽうで自派にはお手盛り加増を行い』(P218)なんという酷い状態。って、佐幕諸藩と転戦していたのって、市川勢か……。