スタンド・バイ・ミー 恐怖の四季 秋冬編


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4本の中編小説をまとめた「恐怖の四季」の文庫版。本書は秋、冬の2作品を収録。表題作の秋編のプロットをひと言で表現すれば「死体を探しにピクニック気分で2日間の旅に出た4人の少年たちの物語」となる。途中、「誰が見ても」危ない目や「当人にとっては」死にそうな目に遭いながらも旅を続けるうち、普段は見せない弱さや背負っているものを徐々にさらけ出していく。後に映画化されたが、原作の一卵性双生児のようなそのでき映えに、世界中が賛辞を贈った。
「人は何歳であろうと既にそれぞれの人生を背負っている」という当り前のことを、この原作と映画は教えてくれる。岩崎恭子の「今まで生きて?」発言がかつて話題になったのも、「子供への先入観」があったからだろう。

冬編「マンハッタンの奇譚クラブ」は、どことなくコナン・ドイルの「赤毛連盟」を彷彿とさせる怪しさとゴシックな雰囲気を持っている。作品の舞台はニューヨーク東35ストリート249Bの、とある会員制社交クラブ。ただし、その成り立ちは不明、会費も無料だという。

上司の誘いでそこに足を踏み込んだデイビッドはいくつかの疑問を抱きつつも、しだいにその居心地の良さにのめり込んでいく。珍本かつ傑作ぞろいの書庫、巨大な暖炉、樫の寄せ木張りの床、ビリヤード台、象牙と黒檀を刻んだチェス、トランプ、スコッチ、ブランデー、皮が肉汁で張りつめ湯気をあげるゆでたてのソーセージ、そして会員たちが語る風変わりな体験談。その極めつきはクリスマスの前日、ある老医師が語った、ひとりの若く美しい妊婦をめぐる、奇怪だがロマンチック、しかも心温まる物語だった。モダン・ホラーの騎手がホラーをメインディッシュではなく香辛料として、最小限の描写で最大の効果を上げた意欲作と言える。(中山来太郎)

スティーヴン・キング、めちゃくちゃ有名だけど、読むの初めて。ホラーが苦手だから、なかなか読む機会がなかったが、非ホラーの作品を読もうと思って、この本を購入。春夏編はまだ買っていないので、いつくらい読めるかわからない。
恐怖の四季、秋春の方が文庫が出たのが早かったようだから、アメリカは秋が年度初め(入学式とか秋だったような気が)だから秋冬から開始なのかと思っていたけど、あとがき見たら「スタンド・バイ・ミー」の映画化にあわせて刊行するためであって、別にそういう理由じゃないのかい。
中短編集といっても、「スタンド・バイ・ミー」は300ページちょっとあるので、1Pに乗せられる語の数が違うのか、英語より日本語のほうが同じことを書くのにより多く語を費やさなきゃいけないのか知らないけど、300ページで中編ということには疑問符が浮かんじゃうね。
スタンド・バイ・ミー
『なににもまして重要だという物事は、なににもまして口に出して言いにくいものだ。それはまた恥ずかしいことでもある。なぜならば、ことばというおものは、ものごとの重要性を減少させてしまうからだ。』(P26)
子供の書き方が抜群に上手いなあ。
途中で語り手が書いた面白くもない小説(スタッド・シティ)が挿入されているのは、そこらへんは読み進めるのが結構辛かった。もう一つの挿入されている小説(でぶっ尻ホーガンの復讐)話の流れ的にも自然だし、面白いからいいけど。
列車が迫ってきて、語り手がバーンを必死になって追い立てているシーンにはバーンの『うーっ、くそったれのゴーティ、うーっ、くそったれのゴーティ、うううーっ、くそおっ!』(P180)という情けない台詞もあいまって声をだして笑ってしまった。
語り手が書こうとしている話(でぶっ尻ホーガンの復讐)に対して周りの連中がチャチャ入れたりしながら聞いているシーンはスゴイ好きだ。こういった場面こそ、純粋に物語の楽しさの真髄を表しているように感じるよ。
「マンハッタンの奇譚クラブ」マッキャロンの話の結末、ホラーっぽい上にグロいのでちょっと苦手。終わりのスティーブンズとの会話はよく分からなかった。