世に棲む日日 2

新装版 世に棲む日日 (2) (文春文庫)

新装版 世に棲む日日 (2) (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
海外渡航を試みるという、大禁を犯した吉田松陰は郷里の萩郊外、松本村に蟄居させられる。そして安政ノ大獄で、死罪に処せられるまでの、わずか三年たらずの間、粗末な小屋の塾で、高杉晋作らを相手に、松陰が細々とまき続けた小さな種は、やがて狂気じみた、すさまじいまでの勤王攘夷運動に成長し、時勢を沸騰させてゆく。

もう松蔭の死まで終わり。全4巻の半分いかないうちに主人公の一人が既に退場か。
吉田松陰、生前の立身には関心ないが、死後の功名には執着した。死後の〜、については今までそんなこと考えもしなかったのでちょっと驚き。でも、そういうのが人間味を感じさせるポイントなのかな。
松蔭が獄に入れられているときの、米国側の記録が残されているというのは面白い。「風雲児たち」でもこのシーンはあったが、創作だとばかり思っていた。
『松蔭は自尊心の強烈な、一種の伊達男なのである。』(P47)松蔭は、謙虚さと子供のような純真さのために自尊心というのが見えにくいから、はっとするような指摘。
風雲児たち」であった、象山が松蔭の巻き添えで逮捕されたエピソードでてないよね?
高杉の話も面白いなあ。久坂との関係も面白い。高杉が、松蔭が見聞した内外のニュースを書きとめ、書き足している手製新聞「飛耳長目録」を読みたいと思う気持ちについての文を読んでいると、こっちもちょっと高揚してくる。
高杉、他の革命分子と違って、家の歴史(高杉家は土豪時代からの毛利の家臣)もあって、藩主父子に対する個人的忠誠心の強い。
毛利敬親、「歩行もつらいほどにふとってい」たということは知らなかった。「風雲児たち」だとそんな太っているイメージないから意外。個人的には幕末とかはやっぱり「風雲児たち」が歴史の流れがわかりやすく、印象的なので、そのイメージがやはり基本になってしまうなあ。
長井雅楽、家光の頃からの幕府体制を維持するための法で、古来の方針ではない。と、天下の錯覚を幕末に指摘した最初。
高杉晋作、上海にいくために長井雅楽を辞めて、仲間を説得するとあっさり手のひら返したのには、説得したのに周布がなんか釈然としない気持ちになっているのに共感できるよ(笑)
上海使節の幕府の人選、行きたい有能な奴もいたろうにどうして役に立たん奴を海外へ行かせるかねえ。薩摩は五代友厚を送り込んだ、政商というイメージしかないから、こうして幕末とか他のシーンで出てくると毎回々々意外に感じてしまう。
『どこでも晋作の意見は聴かれない。が、この男には絶望というものがなかった。』(P309)こうした性質は師匠の松蔭とよく似ているねえ。