神風連とその時代

渡辺京二傑作選? 神風連とその時代 (新書y)

渡辺京二傑作選? 神風連とその時代 (新書y)

内容(「BOOK」データベースより)
神風連の乱は、戦後はおろか当時ですら理解されず、単なる反動派士族の一反乱として無視されてきた。だが、その行動は“うけひ”と呼ばれる誓約祈祷から得た神託によって決定したように他の反乱に比して際立った異相にある。軍事的成算をはじめから度外視した「反時代的反乱」の精神史的意味を、その時代とその師林櫻園の思想を通して解き明かす。

渡辺京二さんの本は「日本近世の起源」や「逝きし世の面影」が読みやすい上に面白かったので、過大に期待しすぎてしまったせいもあってか、ちょっと期待はずれ(拍子抜け?)、といっては失礼だが。少なくとも「日本近世の起源」や「逝きし世の面影」よりも扱っている範囲が狭く、元の本が35年前に出たということ(というか論文的な堅さの本)ともあってか、ちょっととっつきづらい感じ。
もっと「その時代」について象徴的なことがらとして神風連を扱った「時代」に眼目を置いた本田と勘違いしていたが、「神風連」の方を眼目というか神風連についての本だったから、それはあんまり興味がないので、そのせいで楽しめなかったのだと思う。あと、当時の資料の引用が多いというのも読みづらさの一因だと思う。古文とても苦手だからなあ。
神風連についてはまるっきり知らない事柄だから、当然はじめて知ることが多く、それに比例してメモする量が増えた。

神風連、今まで士族の叛乱のひとつとしてしか意識していなかったので、宗教的だったあって、そうなのかとはじめて知った。
林櫻園、神風連の思想の元となった人、太田黒ら挙兵した人たちの師。挙兵時、既に死亡、生きていたら挙兵しなかったとの同時代人や後の人などによる観測も。本居宣長の孫弟子。他の幕末攘夷思想家とはそもそも人間の類型が異なるとのこと。政治に対して介入することを試みない人。櫻園は格段外国のものを忌み嫌うわけではなかった(高弟の一人に蘭語を学ぶよう薦めたり)が、弟子の一部は一党の人の机に洋書があるのを見て怒ったり、電線の下を通るとき扇子を広げたりなど極度の外国嫌いがいたり、隠れて洋書を読む人もいたりと幅がある。だが、隠れなければ洋書を読めない雰囲気だったのだから、外国嫌いの人が主流だったのだろう。弟子の中でも前期と後期の弟子で隔たり、前期の弟子の方が開明的というか、洋物に対しての嫌悪感はない。
神風連は『封建的社会構成の崩壊の衝撃を最も集中的に蒙った下級氏族の思想集団であった。』(P30)
神風連が征韓派という理解は誤り。そういう理解すらなかったが、一応覚えておこう。
熊本・萩・秋月の三角同盟成立したが、思想の原理を保つため、現実有効性の基準そのものを放棄して、3ヶ月まって十年の役に投じるのでなく、単独挙兵での反乱をした。まあ、その前に2度か企画して、止めているが、三度目のこの時、後数ヶ月末だけで成功率が段違いだったのに、勝とうとする望みを捨て、蜂起を思想的形象として完成しようという覚悟が座った。必敗覚悟の壮挙、『彼らは挙兵を「うけひ」によって決した。神慮による行動の成功を疑わなかったからではない。神慮によって行動しなければ行動の意味が一貫しないと考えたからである。』(P36-7)思想のつじつまに合わないからという理由で、銃器準備をしなかった。銃器も準備しないとは、ちょっと常軌を逸している感が現代的な視点からではスゴイする(当時からもそういう見方だったようだが)。
『つまり蜂起とは熱誠をこめた神への祈りであって、勝てばその祈りを神がうけたということであろうし、敗れればうけなかったということであろうというのである。すなわちそれは、形を変えた神占にほかならなかった。』(P220)戦いそのものが神占!太田黒、信仰者として、神が奇跡を現すことに一分の期待を持たねばならなかった。だから、蜂起に至るまでは指導者として最善(時期はともかく)を尽くした。

挙兵は『時流にそむき、しかも時流こそが勝利者かも知れぬという絶望感に襲われながら生きる者の、やっと時代の否認を完了して死ぬことができるという喜びが躍り出させた一歩でもあったにちがいない。時代にそむいていき続けるのには超人的な意思が必要とされるゆえに、彼らはほっと肩の荷をおろしたのである。』(P41)そう考えるとちょっと救いがあるよ。まあ、想像にしか過ぎないかもしれないし、勝算があると思い挙兵に参加したものもいるようだから全面的な救いにはならないけど。蜂起に参加した下部においては、『学校党的な保守派士族の政治意識と見分けがたく入れ混じってしまっているものと見てよい』(P237)
蜂起が失敗した後、『二人の息子の生涯の思想的完結に対する強迫観念的責任感、あるいは不安の妄執に駆り立てられていたもののようである。』(P55)そういうものの為に、自刃を促すって、お互いに合意というかそういうことが当然という前提があったとしても、どこか怖さ(後ろ寒さ?)を感じるなあ。
神風連を、後の時代には汚名の払拭のため、その行動は愛国・忠義・敬神の精神があったと弁護者たちは言っているが、実際は『古代信仰をそのまま当世に行わしめようとした秘儀的な信徒集団であ』(P89)り、弁護者の意見は神風連の特異性を塗りつぶしている。
櫻園の直神・禍神の闘争、『顕界の人が人事を尽くせば、その努力は幽界に反映し、直神禍神の闘争において直紙に有利に作用する』(P126)という考えはゾロアスター教っぽいかな。「ゾロアスター教」を読んでから大分たっているから、うろ覚えだけど、そんな感じのこと書いてなかったっけ。
櫻園、一戦全国民が一丸となって戦って負けろ、負けても相手は地理的に遠いから軍費の負担からあちらから和睦を願う、欧州において国威が奮い、国を開く鎖すといった選択権が日本のものとなるだろう。この意見は素晴らしいなあ。『風雲児たち』でも似たようなこと、誰か言ってた気がしたが誰だっけ?
『彼は、国際社会に登場する日本がどんな社会として新生せねばならぬか、ということを考えた思想家ではない。そのためには日本人がどのようなエートスを持つべきか、ということだけを考えた思想家である。』(P157)確かに櫻園のこの想定道理に、日本が主体的立場で開国したならば、と後の歴史を知るとそう考えてしまうほどの魅力はあるね。
蜂起の参加者の死者の割合が七割(自決含む)。他の蜂起と比べても異常に高い、このことも神風連の特異性を示す。
『風儀が核心において否定されるとき、洋化は復元不能なものとして完成するのである。挙兵はこういう復元不能の事態と向かい合った彼らの絶望の表現であった。』(P246)刀が(武士や百姓など身分を問わず(百姓を町人やら職人やらを含んだ意味で使うと、ひょっとして武士も入ったりする?そうなら、武士が二回出てきてしまうが))核心・秘蹟をともなう一国の風儀で廃刀令がその否定と考えた。
水戸学と違い『敬神党の神政ユートピアにおいては君臨しているのは古代的な民族神であって、天皇はその民族神の意思を正しく代表する場合においてのみ神聖なのである。』(P251)敬神党、下級武士が主なので、『彼らのヨーロッパ近代に対する拒否がじつは、彼ら自身の近代への後ろ向きの跳躍であったからである。』(P258)封建社会で下の方に位置していたというのも、単純に黒船以前を墨守するという考えでなく、古代への回帰みたいな幻想へのめりこみやすくなる一因だったのかもね。
二・二六との関連、天皇救出論的立場を取ると意味で相似している。『二・二六反乱は、このような下部共同体の守護神としての天皇が、現実の市民社会の建設者としての天皇に反乱した現象にほかならなかった』(P265-6)。『あの二・二六の逆説、天皇を根拠として反乱しながら天皇の権力によって圧殺されるという逆接を四十年へだてて予兆するものとなったのである。』(P266)