観光都市江戸の誕生

観光都市 江戸の誕生 (新潮新書)

観光都市 江戸の誕生 (新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
従来、観光地としてイメージされることがあまりなかった江戸。一〇〇万前後の人口を抱え、参勤交代などで絶えず住人が入れ替わった江戸は、一大観光都市だった。将軍吉宗は都市化に伴って減少した憩いの場を江戸市民に提供した。寺社は霊験よりも見世物で参拝客争奪戦を繰り広げ、大名はお国自慢の神仏を江戸屋敷に勧請し賽銭を集め、苦しい財政の足しにした。歌舞伎や落語、時代小説だけではわからない、大江戸観光事情をあきらかにする。

娯楽施設としての江戸の寺院を描いていて、それが主な内容。
隠居後の大名、芝居見物をしたという記述を見て、なんとなく芝居(歌舞伎)とかは町人のものというイメージがあったので、そういった隠居した大名とかが言っていたというのはちょっと意外に思ったが、江戸三座は幕府が認めたものだから見物しても、権威を損なわないものだったのかな?まあ、江戸三座とかだと値段も高そうだから、顧客(観客)層の1つに上級の武士がいてもおかしくないのだろうけど。
フォーチュン、幕末江戸のプラントハンターの話でなんか1冊読みたいな、と前から思っているのだけど、なかなか読めていないなあ。
開帳、『江戸中期から後期にかけては、盛り場などの行楽施設が江戸の各所に次々と成立し』(P115)たため集客力が低下した。
娯楽施設としての寺院、茶屋などの飲食店『そのほか、鎮痛薬として名高い「錦袋円」などの医薬品、お歯黒の染料である「五倍子粉」などの化粧品、水に入れると自然に花が開く「酒中花」や、壺の下に差し込んだ笛を吹くと、壺の上の人形が回る仕掛けの人形である「浮人形」など、大人も楽しめる商品も、境内では売られていた。』(P99)『境内には、弓矢で遊ぶ楊弓見世をはじめ、様々な娯楽を提供する芝居小屋や見世物小屋までもあった。芝居小屋では、軽業、浄瑠璃狂言など多種多様な芸が興行されていた。』(P100)などの各種店舗があった。
大名屋敷の神仏の公開には、賽銭などの実利が主たるものではなく、『結論から言えば、他の大名家との比較において、自分の家を自慢したいという名誉欲が大きなウェートを占めていたのではなかろうか。言い換えると、差別化の追及である。この時代、どの大名も自分の家の家格を上げることには、異常なほど熱心だった。莫大な借財を抱えていながらも、家格を上げるためには、新たな財政負担もいとわなかった事例は枚挙に遑がないほどである。』(P187)