日本の歴史 10 下剋上の時代

日本の歴史〈10〉下克上の時代 (中公文庫)

日本の歴史〈10〉下克上の時代 (中公文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
守護大名の将軍殺害にはじまり、応仁・文明の大乱、山城の国一揆にいたるこの時代は、西欧のルネサンス宗教改革に比肩される日本歴史上まれにみる活気あふれる世紀であった。この激動の百年を国人・地侍、商人・百姓らの新勢力に焦点をあてて明快に描き出す。

読み終えるまでに大分時間がかかってしまった。このシリーズの本を何冊か読んでみて分かったんだけど、個人的には歴史系の本は多くて300ページくらいがある程度一定のペースで読み進む意欲がわく限度だと言うことがわかった、それ以上になると読み終えるまでの期間がものすごく長くなる。まあ、別に歴史の本だけではなく、最近は大概の小説でも400ページ越えると読むの遅くなるけどさ。
あと、この巻では民衆史にスポットライトがあたっているから、名前を聞いたことのある人物や個性的なキャラクターが足りないから、その部分は正直面白くないという理由もあるだろう。普通のもっと有名な歴史的登場人物の物語さえよく頭の中に入っていないのに、こうした民衆史読んでも正直読むのは辛いし、頭の中にはいらない。だから、読むペースがますます落ちるという悪循環だったのかな。
うーん、このくらいの時代の歴史については、まずだれか特定の人に焦点を当てた本(小説でも)を読んだほうがいいのかな。そうでなければ、中々頭の中にはいらないからな。だが、その目的にかなった、ちょうどいい本がなにかあるかな?
上杉憲実、当時から同乗者が多いが、実は表面は真意は一貫として忠誠があるように自己演出しているが、裏では現実的に上杉家の保全・発展に周到な手を打っていた。よく知らないが、中々腹黒い人のようだな。
守護大名はむしろみずから好んで京都に住みついたといったほうがよい。』(P73)そうなんだ。まあ、よく考えれば江戸幕府と違って、幕府の力が弱いのだからそうだろうけどさ。理由は『自分が幕府の中枢で重要な地位を占めることによって、領国内での紛争や大名相互間の争いに対する将軍名義の有利な裁定(御教書)を手に入れることができた』(P73)から。
嘉吉の土一揆、『畠山持国の工作によってひきおこされたといってよいのではないかと思うのだ』(P99)
『いかに下剋上の時代とはいえ、自検断は当時のすべての荘園・村落で無制限に行われたというわけではない。自検断を獲得したり、惣が成立しやすい荘園は、どちらかと言えば畿内在地領主がいない場合に多かったといえるようである。』(P132)なんとなく自検断とか多かったというイメージがあったが、そうでもないのね。
『本来、領主権力にたいする現地住民の挑戦という性質をもっていた祐清殺人事件は、ここで一転して地頭方百姓と領家方百姓との対立に転化した。領家方百姓はことの本質を理解しえず、祐清の横死を農民一般の利益に結びつけて考えることができなかった。われわれはそこに、忠誠農民の分裂された状態からもたらされる悲劇を認めないわけにはいかない。』(P256)農民が一丸とならなかったことに「悲劇」だと嘆いて、祐清を殺したことについては無関心なのは、学生運動が盛んな時代とさほど時を隔てずに書かれたことがよくわかる、(体制側に対する暴力が称揚される傾向にあった)時代を感じさせる一節だなあ。
義政・富子、年齢的に子供ができる可能性十分あるのに、何故義視を還俗させたのかがわからんな。いくら義政が早く職を譲りたいと言う気持ちがあってもね。まあ、富子が義視を還俗させたあたりでは、まだ、発言力がなかったと言うだけの話かもしれないが。
義政は、富子とは違って、特に自分の子供である義尚に将軍職を譲りたいと言う執心はなかったのね。
義政、政治の世界から孤立して、失意の日々を送る中で、『このころもっともすなおに心の友としえたのは、おそらく、無力な境涯にあった後土御門天皇その人であったろう。』(P358)、友としえたのが、自分たち一族が押し込めていた天皇と言うのが皮肉だね。
富子、応仁の乱のとき、敵にまで金を貸すって、まさに『死の商人』(P361)だね。
「阿弥」は時宗の徒の称号。南北朝の動乱以来、時宗は陣僧として伴う習慣があった。そして、主人の無聊を慰めるために技芸を磨いていた。将軍家の場合は「同朋集」。時宗って、なんとなく一遍一人で終わったと言うイメージがあった(教科書とかでは他に時宗の人として出てくる人もいないし)ので意外だったが、そういや一遍についての伝記、言行録とかは江戸時代に出ていると聞いたことがあるから、そう考えればおかしな話でもないか。
山城国一揆、三十六人集、細川政元畠山政長に近い線の人びとが国一揆の主軸。ゆえに『幕府が「惣国」にたいし、なまぬるい態度しかとらなかった理由も一つの説明をえることができるだろう』(P514)なるほど、そういう裏があったのか。