『臨済録』 禅の語録のことばと思想


内容(「BOOK」データベースより)
「珍分漢ノ囈語」(夏目漱石)のように見える禅問答も、それが発せられた唐代禅の文脈に立ち戻るとき、いきいきとした意味がよみがえる。修行者がめざした「本分事」―本来の自己―とは、何だったのか。鈴木大拙の言う「禅によって生きる」とは、いかなることか。難解な禅の語録を実践的な「場」の言語として丁寧に読み解きながら、宋代、そして現代に至るその解釈の転換の意味を問う、禅問答の思想史。

ニコニコで『ニート仏教を語るコミュの放送で「禅籍で学ぶ『そのブラ』」』(声も聞きやすいし、話し方も分かりやすくて、すごく面白かった!)を見て、興味を持ったので読んだ。

唐代の禅では、禅問答の前提(状況や話の脈絡)を解説されれば論理的に理解することが可能である。
禅といえば、意味わからない問答が主であるというイメージしかなかったので、論理的に理解できるというのは、ちょっと衝撃的だ。
まあ、解説されればわかるけど、実際にそんなこと言われたらわからないだろうけどね。特に僕は含まれた意味を読み取ることは酷く苦手なので。まあ、その当時でも、平易で誰にでもわかる(あらゆる人がそのような言葉を聞いて一瞬にして悟るような)言葉というわけでもないようだし(当然だけどね)。

隻手音声、江戸時代の禅僧白隠慧鶴の創唱の公案、俺でも知っているくらい有名だけど、結構新しいものなんだね。
「乾屎橛」は「くそかきべら」ではなく単に乾いたクソそのものの意。だが、「くそかきべら」に当たるものは存在したのか、というかググってみたら日本にもあったのね(http://www5e.biglobe.ne.jp/~e-kaori/mado31.htm)。

唐代・宋代の禅の大きな段差。禅は宋代に、現在の主なイメージにあるようなわけのわからない(『わずかも知的・分析的理解を加えず、「柏樹子」の語を「直透」せよ、すなわちまるごとずばりと突破せよという説』(P50)というような)公案、問答が主になり、『理解できないのが悪いのではない。理解しようとすることがいけないのである』(P52)ということに。唐代の意味のある言葉も、唐代には一語として抜き出されて、「活句」、つまり、いかなる意味や論理にも還元しえない無文節の語。理論に組み込まれず、解釈不可能な語になった。
道元、(「活句」に集中して、悟りの境地に至るという)看話禅には反対だが、公案そのものに反対しているわけではない。

鈴木大拙の初期の著作も言っていることは、朱子が批判的に要約した看話禅と一緒って、禅の世界って進歩無いのかなあ。『大拙自身はこの後、公案の作為性・不自然性への批判を強め、江戸時代の禅僧盤珪や民間の浄土信者妙好人の説を素材として「このまま」「そのまま」の世界を重んずるようになってゆく』(P86)ようだが。

『聖なる価値を定立しようとする意識も、それをムキになって否定しようとする意識も無い、あるがままの、ただあたりまえのありかた。それを唐代の禅者が「平常」といい「無事」と言っていた』(P160)

「祖師西来意」の唐代の禅僧の解釈が出てくるが、実際の達磨はどういう真意だったのだろう、とちょっと気になった。
臨済、「仏」や「祖」という外的権威を認めないだけではなく、自らの内にも、そうした聖なる価値を定立しない。