ケンペルのみた日本

ケンペルのみた日本 (NHKブックス)

ケンペルのみた日本 (NHKブックス)

内容(「BOOK」データベースより)
エンゲルベルト・ケンペルは、1690(元禄3)年、長崎オランダ商館付の外科医として、日本を訪れた。戦乱に倦み疲れた西欧を離れ、五代将軍・綱吉の治世のもと、徳川政権が最も栄え、泰平の世を謳歌した元禄の社会と文化を、ケンペルはどのように観察し、そして記録に残したのか。日・独・英の研究者により、克明な見聞記『日本誌』を読み解き、“とざされた国”の状況を検証する。

ケンペルのことは、「やる夫 吉良邸」の番外編を読んだくらいの知識。そこから興味を持って、この本を図書館から借りて読んだ。図書館、最近久しぶりに使ったりしてる。
『ケンペルは古代ペルシアの碑文を正確に記録し、それを初めて「楔形文字」と名づけた人』(P18)ということは初めて知った。
ユルゲン・アンデルセン、『日本を訪ねた後、台湾で倭寇か中国の海賊の手に落ち、中国の奥地に奴隷として売り渡され』(P42)その後も波乱万丈な出来事あったが無事ヨーロッパに戻った、というが17世紀半ばでは倭寇の時期ではないんじゃないか?

複数の著者が、物まねなどの出来事を冷笑的に取り上げているが、「やる夫 吉良邸」で『当時のオランダ人たちは、後世の人々が思うほど
「侮辱されている」とは思わなかったようです。』とあって、その説明に納得したから、どうもことさら当時の江戸幕府について悪く視ている感がするなあ。

江戸の町ではオランダ人一行が通るときに見物する人が少なかった、とあるのをみて、当時の江戸人の『都会人らしい見栄』(P140)は微笑ましく感じる。

朱印状、1609年のときは、まだオランダ正式に独立していない。座談で、もし、神聖ローマ・ドイツ帝国が日本にやってきて朱印状を持ち出したらどうなったか、という話題がでていたが、正答は知ることは出来ないifの話だが、面白い問いだ。

ケンペルが来た頃、朝鮮貿易のピーク、朝鮮貿易でも中国の産物が輸入する主だった、というのは知らなかった。やっぱ木綿とか輸入していたと言うイメージが強いからな。

今村源右衛門、ケンペルの日本での協力者。