徳川将軍家十五代のカルテ

徳川将軍家十五代のカルテ (新潮新書)

徳川将軍家十五代のカルテ (新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
健康オタクが過ぎた家康、時代劇とは別人像「気うつ」の家光、内分泌異常で低身長症の綱吉、飲酒が高じて食道がんで逝った光圀、そして実は三人も将軍位に就いた障害者…。芝・増上寺にある徳川家霊廟で発掘された遺体や文献をもとに、歴代将軍を最新医学で診断してみると―。彼らはどんな養生法を心掛けていたのか、そして死因は、さらに世継ぎをもうけるための苦心とは?史実には顕れぬ素顔が見えてくる。

歴史要素は薄め。歴史解釈が通説・俗説よりなので、そこはちょっと。個人の感情のようなもの(上手く言語化できない…)で政治が左右されるような感じの説明、それが政治的な芝居としてかかれるのなら納得がいくのだが。
例えば、お江与が秀忠にやらなくてもいい上田城を攻めさせた、みたいな説明では、それが通説や(当時の)俗説だとしても到底納得できないからなあ。

徳川慶喜、子供24人。そんなに子供多かったのか、というか以前にも何回か読んだり聞いたりしたことがあるはずなのだが、いつも忘れる。どうも慶喜は明治になってからのことでもあるから、そうした子供が多く生まれたなどのエピソードについては、印象がどうしても薄くなってしまうな。

今川義元、「センゴク」のイメージしかなかったので、相当肥満していたと言うのは、意外だ。これもどっかで読んだかな?あるいは感想を書くまで時間がたちすぎて、ここで読んだものを以前に呼んだと勘違いしている可能性もちょっとあるけど(笑)

タバコ、頭痛や肺の病に効く、薬としてとらえられていた。というのは今考えるとあべこべでおかしみを覚える。そんななか、家康はタバコに興味を抱かず、たびたび禁煙令を出させた、のは自身が漢方医学に通暁しているから、保守的な感情でそうしたのかな?

綱吉、身長124センチ。どこかで読んだが、何かの間違いじゃないかと半信半疑だったが、一応理屈としてこういう症状がありえるという説明をされれば納得。

小石川養生所、初代病院長がなくなった後の、堕落ぶりが、リアルだ(史実にリアルも何もないけど、現代でもありそうという意味で)。

十三代将軍・徳川家定、ハリスとの会見で『短い沈黙の後、自分の頭をその左肩を越えて
グイッと後方へ反らしはじめた。同時に右足を踏み鳴らし、これが三〜四回くり返された』(P148)のはアトテーゼ・タイプの脳性まひによる、不随意運動のためということは知らなかった。「明治天皇」でもこの描写が引用されていて、脚注でもなにを意味しているのか、わからないとあったが、そういうことなのね。や、「明治天皇」のその部分を読んだのはこれを読んだ後だけど、ほかの本でもその部分の引用が見た気がするが思い出せなかったので。

十四代将軍家茂、遺骨を見ると虫歯三十本(!)って、若くして死んだのにその虫歯の数は。どんな説明よりも、その歯の状況で、いかに彼の生前の将軍の職務が過酷だったのかがわかるよ。

慶喜、九男が男爵の叙爵という吉報に、風邪気が抜けきらないのにはしゃいで、死んだというのは、幸せな死に様なのか、なんというか、言葉に困る死に方だなあ。