須賀敦子全集 別巻 対談・鼎談

須賀敦子全集〈別巻〉対談・鼎談

須賀敦子全集〈別巻〉対談・鼎談

商品の説明
出版社/著者からの内容紹介
対談・鼎談集。人生について、文学について、イタリアのこと等、会う人を惹きつけてやまなかった須賀の語りの魅力を満載。対談者:池澤夏樹川本三郎清水徹陣内秀信、A・タブッキ、辻邦生丸谷才一向井敏森まゆみ他。
内容(「BOOK」データベースより)
本巻には、一九九二年から一九九八年にかけて発表された対談・鼎談、および、一九九二年から一九九六年にかけてラジオ・テレビにて放送・放映された対談・鼎談を収録した。

この巻は文庫版の全集にはないので、(最近、行く機会が増えた)図書館から借りて読んだ。対談・鼎談集。対談集だから、面白そうな(興味が惹かれる)ところから読んでいったから、楽しく読めた。最初から読んでいると、あとどれくらいで面白そうなところだという気になって、現在読んでいるところから集中が切れたり、急いて読んでしまったりするところがあるが、こういう読み方は自分のペースで気になったところから読めるのがいい。ただ、最後の方になってくると、どこ読んでいないかわかり図楽なるのが面倒だけど(笑)
本についての話をしているのを読むと、『チボー家の人々』、『血と影』(イタリアが舞台のミステリ)など読みたい本がどんどん増えて困るなあ(笑)しかも、『日本橋魚河岸と文化学院の思い出』や『バスラーの白い空から』のように、現在入手が難しそうなのが、面白く見えるのが特に困る。

『須賀 結局、私たちにとって初めての本というのはないわけですよね。私の子供のときの写真に、『のりものえほん』というのを持っているのがありますけれども、あのへんからずっと今まで続いているんですよね。あるときに絵本はもうやめて、字だけの本になったときがあって、これは面白いと思ったにちがいないので、それでまた次にはもう少し難しい本という風になっていったりして。私はやっぱり本というのは後を引くと思うんですね。』(P298「須賀敦子全集 別巻」)徐々に難しい本へ、といったこうした積み重ね(同じジャンルの易しい本から読み始めること)の重要性に、最近ようやく気づいた。今まで難しそうなものから入って、挫折したり、字面を最初から最後まで見ただけで読めていないといったことが多々あったので、今後はそういう失敗はなるべく犯さないようにしたい、最初の何十ページを読んだ後に、難しいからやめるという決断をするのは、中々踏ん切りつかずに結局わからないまま最後まで読んでしまうという失敗は、今も結構あるけど、それでも少なくとも、だからといってそのわからなかったジャンルの本を敬遠するようになることはなくなった(すくなくとも少なくはなった)と思う。そのジャンルのやさしい本から読み直せば、と気づけたから。

この本に、何回か出てきたが、イタリアの新聞に日本の桜前線のような感じで、ドイツ人が来たというのが出る、というのは面白い。

フランチェスコ、伝説なキャラクターやらといろいろ言われているのを読んで、ちょっとその人(?伝説的・神話的なキャラクターとしてのフランチェスコだから、人と呼ぶのはどうなのかな)についての本を読んでみたくなったなあ。

大竹昭子との対談、本当に楽しそうに(はしゃいで)話しているのをみるのは楽しい。

池澤夏樹との対談で、ミラノでの人たちを書いたことに対して、
『須賀 うしろめたい気持ちはありますね。』(P78)とあるけど、あそこまで深くまで活写していたが、やっぱりそんな気持ちになるのか、となんかちょっとホッとした。

『ハザール事典』について言った言葉で、『「かな?」と思うのが楽しい本』(P307)というのは、初めて読んだ表現だがいい表現だ。『ハザール事典』本についての説明を見るとすごく面白そうだが、きっと今読んでもあまり楽しめないことがわかっているので、読まずに過ごしている本。例えば、隠喩とかを考えたりしないので、きった「かな?」と思うことがあまりないと思うので、まだ読む時期ではないかな、と改めて感じた。これからの人生の中で読む時期というのが来てくれればいいのだが。

深沢七郎。読んだことがないのだが、突然変異やら方言が音楽的といった評され方をしているのを見ると、すごく読みたくなる。

『中国のアウトサイダー』、川本(本からの内容紹介)『中国人の夢の話には過去に戻るのがない』(P319)、須賀『近代文学というのか、今の文学を考えるときに、必ず記憶というものが入ってくるんですけども、中国はそれがないです』というのは面白い。

ねじめ正一、須賀さんの文体を『源氏物語』に似ていると言っていて、そう聞くと(俗っぽくて恐縮だが)ちょっと凄く見える(笑)個人的にはなぜかは知らないけど疲れやすい文章と感じていたのだけど。
池澤夏樹との対談にある、
『須賀 そうお。とても不思議なんだけど、センテンスを書いていると、言葉がばらばらになって降って来ることがある。それも、日本語の順列で降って来ないから、それを書きなおす感じです。そのため、よく辞書を引きますし。だからぎこちなくて、ちゃんと流れていない。』(P209)「流れる」というワードが、個人的になんか妙に疲れるような感じとつながっているのかな?