創価学会

創価学会 (新潮新書)

創価学会 (新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
一宗教団体であるにもかかわらず、いまや国家を左右する創価学会。国民の7人に1人が会員ともいわれる巨大勢力だが、その全容はあまりにも知られていない。発足の経緯、高度成長期の急拡大の背景、組織防衛のしくみ、公明党の役割、そしてポスト池田の展開―。あくまでも客観的な研究者の視点から、現代日本社会における創価学会の「意味」を明快に読み解いた格好の入門書。

創価学会のことは、巨大な宗教団体のわりには何も知らないので、どんなものかと思い読んでみた。amazonのレビューやブログなどで客観的という評価がついていた、このような本がなければ、少し興味があっても新興宗教についての本は読まなかったであろうが。

創価学会員の人数、多少盛っているかもしれんが、一七〇〇万人という馬鹿げた数には吹いた、そしてその後ちょっと慄然とした。

他の宗教団体よりも排他的な特徴。現世利益と法罰論。
戦前には小規模な団体だったが、戦後に都市の下級層に広まる。労働運動の恩恵にあずかることができない、大企業の組合に所属していない労働者を入信させて発展。
先祖供養の要素希薄なのは、農村部から都市に出てきた次・三男で祭るべき祖先がなかったから。元々の起こりは教育団体であったことと開祖の牧口が知識人だったことから、霊魂は否定し、占いや易の価値も否定。
巨大な村で、相互扶助組織であるのも急成長できた理由。
「創共協定」、すぐに反故同然となったが、それよりなによりこの協定の橋渡しをしたのが松本清張というのがまず一番の驚きだ。

『最近では、ジャーナリズムの世界で創価学会を批判する声はほとんどあがらなくなり、逆に、創価学会を擁護し、場合によってはそのありかたを礼賛する報道などが増えている。しかし、これまでのジャーナリズムはおおむね創価学会に批判的で』(P117)これまでが批判的でも、僕は、その頃のことはまったく知らず、最近の擁護するようなものが多い状況しか知らないから、創価学会という団体に違和感を覚えるんだろうなあ。批判されていた時代のことを知っている人たちなら、何事にもありがちな、批判と賞賛に対する波みたいなもんだ。と、そんなに気にしないのかもしれないけど、勢力を拡大して言った時代のことを知らずに、僕のようにそれまでの団体の来歴を知らないと、巨大な宗教団体で異質にみえるようなものなのに擁護されているという状況は不気味に見えるよ。

組織内の分裂を防ぐために幹部会を公開して、学歴の高い2世3世の官僚化を防ぐ。だが、同時にそうした方向性は自ら限界を設けてしまい、高学歴の幹部たちにとって居心地の悪いような状況、隠れた不満が溜まるような状況になってしまっている。

創価学会には、「不受不施派」の現代版の側面。学会員には、自分たちの信仰が絶対だという正当は意識がある。江戸時代の日蓮系の講にも経済的な側面があり、『講中で集めた金を外部に貸し出して利益を上げていた』(P161)、という意味でもある種江戸時代以来の日蓮系の講の伝統を引き継ぐ。

学会員『彼らが会員であり続けるのは、たんに池田を信奉するからではなく、相互扶助組織としての創価学会の一員であることが現実的メリットをもたらすからである。』(P170)なので、池田が死んでも大規模な分裂や離宗といったこと起こるとは考えにくい。宗教で現実的メリットという側面については、個人的には軽視していた嫌いがあったので少し意外だった。

『池田を究極の仏、本仏としてとらえる「池田本仏論」の主張もあるが』(P171)少数派とはいえ、内部でもやっぱりそういう風に見ている人もいるんだ。

創価批判が生まれるのは『その閉鎖性や排他性ゆえである。』(P177)
最後の占めの言葉の、創価学会を一般人が毛嫌いするのは、『創価学会が戦後社会の戯画』(P186)だからという指摘には考えさせられる。