貧民の帝都

貧民の帝都 (文春新書)

貧民の帝都 (文春新書)

内容(「BOOK」データベースより)
明治期、東京に四大スラムが誕生。維新=革命の負の産物として出現した乞食、孤児、売春婦。かれらをどう救うか。渋沢栄一賀川豊彦らの苦闘をたどる。近代裏面史の秀作。

冒頭の、幕末に慶喜が恭順を示し寛永寺に入り、まだ官軍が入ってきていない、無政府状態の江戸のかなり治安が悪くなって、職がなく窮民が激増しているような状況、いままでそこに焦点をあわせた描写を読んだことがなかったので、その治安の悪さにちょっと衝撃を受けた。
維新後の浪人が零落して乞食に。浪人保育所という施設も作られる。

松平定信、「風雲児たち」のイメージが強くていままでそんないいイメージをもっていなかったが、この本を読んだら、町会所を設け七分積み金を作ったことは激賞に値することだということがよくわかる。維新で貧民が増えたときに、町会所の備考米を使用できたから、その状況を収めることができた。まあ、元々有事の際の食料や資金(福祉的役割)だったものを明治政府は溶かしちゃった(軍事費やインフラ整備、その他諸々のために)けどね(現在の、消費税みたいなもんかな?)。明治になっても褒められていたのは、そうした遺産を利用(食い潰した)できたからかな?と穿った見方もしたくなりますけど(笑)

貧民救済に尽力した、慈善事業家(そういう側面があったのはこの本ではじめて知ったが)でもあった渋沢栄一も、七分積金を作った松平定信に感銘を。

石川島の方は、田沼時代にも同種の施設はあったよう。

『遊び好きの怠け者だからまずしいという支配者好みのタームがここでも使用されている』(P139)こんなこという奴ら、昔っから(なのか明治になって幅を利かせはじめたのか)いたのね。こういう上からの言い分(というより援助しないための言い訳)嫌いだ。
この本を読んで、現代も自己責任と考え、保護しないという現状には、おかしいんじゃないかと疑問を持つようになった。まあ、そう考えるのは自分が中年や老人になったときに、ホームレスとかそういう風になっているんじゃないかという不安(自分の能力が劣っていて、人より優れたところがどこを探しても見当たらないという自覚)があるから、ある種切実にそんな風に思えてしまうのだろうけど。

徳永恕が自分のところ(分園(私設養育施設?)で捨て子を保護していた)で一旦きた子供を、多くなりすぎて支えられなくなったため養育院へ預けるようになったが、そこで手が足りないために本当に必要最低限のことしかしていない(できない、手が回らない)状況だったために、満員のその施設に連れ戻したというエピソードの後の、『「私」のエゴイズムは美談になり、「公」の平等思想は冷酷と断定されていないだろうか。このように「公」としての養育院への蔑視と嫌悪はいつのまにか市民のあいだにひろく共有されてしまった。』(P222-223)この文章には目を見開かされた。「私」のエゴと「公」の平等として対比させて見たことがなかったので、目から鱗の指摘だ。そう考えると「私」のエゴの礼賛と、「公」の平等に対する批判というのには、かなり歪でグロテスクなものだということをこの指摘によってはじめて理解した。