明治天皇 3

明治天皇〈3〉 (新潮文庫)

明治天皇〈3〉 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
1889(明治22)年、大日本帝国憲法が発布、翌年には第一回帝国議会が開かれた。いっぽう朝鮮をめぐる清国との対立は、東学党の乱を機に激化。日清戦争が勃発すると、天皇大本営の置かれた広島に移り、継ぎを当てた軍服を着て兵たちと労苦を共にする。アジアの老大国を相手取った日本の勝利に国際社会は驚き、「ザ・ニューヨーク・サン」紙は明治天皇を「不世出の英主」と絶賛した。

3巻読んでから結構経つのに、まだ4巻のページを開いていないや。さっさと読み始めないとなあ。

巻頭の絵、魯国皇太子御着之図のキャプションは笑う、お蔵入りしたものの使い回しって。
朝鮮、貴族という言葉がさらっと出てきたが、貴族いたのか。なんか、儒教のイメージが強くて、中国の忠実な模倣というイメージが李氏朝鮮にはあったからその末期でもまだ貴族がいたのはちょっと意外だ。
中国、大院君を三年間も拉致して自国においておいたのか、近代的じゃないなあ。ま、日本も色々とてもスマートとはいえない所業をやっているようだからとやかくいえんけどさ。

明治二十二年でのエピソードとして、几帳面すぎる時間厳守のことがでているが、幕末時点ではルーズだったとどっかで見たことあるよなないよな気がするが、二、三十年の間に変わったということかな?日本人のそうした時間を守る意識の変化がかかれた読みやすい本とかあったら、読みたくなってきた。まあ、そんなピンポイントな本はたぶんないだろうけどさ(笑)

『「明治天皇紀」の律儀な編纂者は、次第に激しさを増す炎暑を描写する形容詞を使い果たした挙句、八月十日「炎日人を射る」と記述している』(「明治天皇 3」P106 *24)この文章、面白くて好き(笑)

天皇の演習好き、この「明治天皇」を読むまでそんなイメージなかったなあ。というか、明治天皇に対する具体的なイメージをもっていなかったわ。天皇へ裁断を仰ぐ、無意味な形式的なもの(単に名目だけで箔をつけるとか)でなく、一応意味はあったんだ。ちょっと予想外、といったら失礼かな。天皇の尾崎嫌い、こうして個人への好悪をみるのが、一番人間らしい側面が伺える(気がする)。

島津忠義、(少なくとも大津事件の段階までは)髷を切らず、洋服を着なかった。久光だけじゃなく、忠義も守旧的な人だとは知らなかった。大津事件、児島。そのほかに特筆した事跡を残さなかったから、損なたいした人物だとは思っていなかったが、疑いなくこの件での彼は英雄(彼が断固として意見を変えなかったおかげで、日本の司法が疑いなく強化された)だった。

日清戦争時の旅順での残虐な行為。日本の新聞、テキサスでの(高度な教養に憧れた)黒人リンチ事件を人種差別の例としてでなく、『文明人(アメリカのリンチ執行者や日本人)が野蛮人(黒人や中国人)に憐憫の情を覚えることが困難であることを示す実例として』(P336)引用して、正当化しようとしたというのは、ちょっとぞっとするような話だ。しかし、今まで日清戦争でそんなことがあったということを知らなかったので、これはいかに勝者になったら、それについて汚い部分を隠す(というか、誰だって耳の痛い情報を好まないから、無意識的にそういう部分が国民の一般的な認識から欠落していってしまう)かという実例かな。
丁提督が自殺したあとの、伊東の行動でなんとか挽回(といっては、まるで伊東が損得勘定でそういう行為をしたように思えるから、ちょっと違うけど)できて、結果的に伊東の行動のおかげで日本の評判がなんとか助けられた。