朝鮮通信使いま肇まる

朝鮮通信使いま肇まる

朝鮮通信使いま肇まる

内容(「BOOK」データベースより)
日朝外交を長く担った「朝鮮通信使」。その知られざる奇譚を描き、両国関係の真の姿を白日の下にさらす問題作。

荒山さんの本、前から読んでみたいとは思ってはいたんだがようやく読むことができた。以前どこかのブログで、室町時代の通信使で一休宗純がでてくると知り、それから読みたいと思っていたので、まずは荒山さんの本は伝奇色の強そうな「柳生〜」とかではなくこれから読み始めた。長編かと思ったら、朝鮮通信士を題材にした短編集か。足利時代、戦国時代、明治時代の通信士。一番メジャーな江戸時代の通信士についての短編はなし。

荒山さん、史料の読み込みをする作者だとは聞いてはいて、これは伝奇色も薄いが、これは歴史小説と読んでよいものか判断に迷うなあ。
日本で言えば室町の頃、『毎年四回、朝貢施設を定期派遣』とあるが、そんなに何回も!と驚いた。日本ではよく行っていた頃でも何年何十年に一遍という間隔なので、年に何回も行くというのは、大陸と地続きともなると年に何回も派遣できるほど移動が容易だから、中国との関係、感覚が日本とは大幅に異なっていたのは頷ける。隣国とはいっても、日本は海で隔たっている分、日本の対中国・朝鮮との関係は、中国・朝鮮二者間の関係よりも歴史的にはずっと縁が薄いよね。年四回の朝貢はいつの時代まで続いたのかなあ、それとも日清で独立の国にさせられるまで続いていたのかな?

倭寇、本心から思っているのではないのだろうが(冗談混じりなのは行間から伝わってくる、僕のようにそうした細かいニュアンスを読み取るのが苦手でも伝わってくるほどw)思いっきり日本寄りの説明していて笑った。まあ、韓国側の主張や中立的(と本人は考えているであろう)な説明はよく見るけど、日本側によった主張はよく考えたら読んだことなかったので、だからこそ書いたのかな。でも、読んだときは思わず笑っちゃったけどねw

肇まりの通信士、細かい事物、事象にいちいち感心しているのは微笑ましい。というか、『にほんでの旅は、布米よりも銭を用いるほうが便利です。たとえ千里をゆく旅行者であっても、お金だけもってゆきます。』(P32)云々ということをあえて記述しているから、朝鮮ではそうでなかったと書かれていて、日本は貨幣経済になるのが非常に遅れていたという印象があったから、朝鮮ではもっと早くから貨幣経済になっていた(中国と隣接しているし)と思っていたので、この指摘はすごく意外だ。

室町の朝鮮通信士は文化と技術を得るために来て(どこまで真実かは知らんが)、秀吉時代の通信士になると、自分たちは文明国で日本は野蛮と変化した。いや、室町でのときも、実際に調べるまでは野蛮云々とはいってはいたけど。技術はもたらされたが、そもそも技術は賤しいものだと考えたり、世宗が通信士を送ったのはそもそも間違いだったといってみたりと、そうした時代による変化をみるのは面白い。

貢女、明使の「美女がいない」「数が少ない」といった難癖にも対応しなければいけないほど、明に対して立場弱かったのかよ、(1408年)当時の朝鮮王朝。

「我が愛は海の彼方に」海上での邂逅から終わりまで、説話文学っぽい感じの話だ。でも、それを陳腐だと感じさせないのは作家の手腕なのかねえ。

江戸時代は国書交換したあとすぐに帰国したが、足利時代は国書を交換したも長期滞在し日本観察をしている。それで、足利時代は朝鮮が日本に学んでいた時代だったというのはなるほどと思うけど。江戸時代にすぐ帰ったのは、人数が多くて、そんな人数を長期にわたって歓待するための金の問題があるから、日本側としても速く返したかったという事情もあるんでは?というか足利時代の金の出所はどうなのかがわからんなあ。

世阿弥、前にもどこかで言ったけど、こういう芸の至高の境地みたいなのが書かれているシーンはなんだか好きだなあ。

明使の冊書、貿易を許していない、とあったのならば、秀吉が怒って破棄してもそれはしょうがないなあ。

明治時代の通信士、日本側が新時代の事物を視察させようとしたけど、ほとんど断ったというのはせっかくの機会を溝に捨てるなあ、という印象。