新装版 絃の聖域

新装版 絃の聖域 (講談社文庫)

新装版 絃の聖域 (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
長唄人間国宝の家元、安東家の邸内で女弟子が殺された。芸事に生きる親子、妾、師弟らが、三弦が響き愛憎渦巻くなかで同居している閉ざされた旧家。家庭教師に通っている青年、伊集院大介の前で繰り広げられる陰謀そして惨劇。その真相とは!?名探偵の誕生を高らかに告げた、栗本薫ミステリーの代表作。

ずっと読みたいとは思っていたが、amazonでも在庫がなく、古本で買ったら買った時点で満足してしまいきっと読まないので、重版するのをまっていたら、新装版で文庫新刊として再販(?)してくれたのは嬉しい。

「ばんびろの顔」、「パセチック」、「レコ」、「さあ公」、「三隣亡」など、自分の語彙になくて読み取れない言葉が多くて、どうもテンポよく読み進めることができなかった、普段は知らない言葉でもなんとなくで把握して流せるのだけど、どうもそうした言葉がこの本にはかなり多いからどうしても気になってしまって、躓いて前後読んで何とか大体の意味読み取ろうとしてしまう。まあ、それでも分からなくて幾つか分からんままだけど、「ばんびろの顔」とか「さあ公」など。そういうこともあり、なんとなく、昔の日本文学(最近読んでいないや)を読んでいるような微妙な気分になってしまったなあ。まあ、とにかくミステリとして読んだものに、こうゆうむずかしい語が頻出するようなものだとは思わなかったから、ちょっと(というか、かなり)面食らってしまったというのが正直なところかな。

冒頭、親父とあいつを同じ人物が使っているからなんとなく、別の人物だと早合点してしまい、「あいつ」が示す登場人物が親父とは別個にいるのかと勘違いして、それが誰だか探そうとしてむやみやたらと時間をかけてしまったが、読み終えてから改めて見ると単に親父のことを軽蔑して「あいつ」といっているだけだったのには、自分の早合点が原因だからしかたないががっくりときてしまった(笑)ミステリで序盤に違和感を覚えながら流してしまうと、案外それが真相だったりすることもあるから、むやみに何回も読むことがあるが、大概違和感は的外れというか、今回のように自らの読解力不足に起因していることが多いなあ。

伊集院大介、「さだまさし似」なのか、字面からはイケメンな人間だと思っていたから、かなり想定外だ(笑)生徒が1人しかいない塾って、なんで由紀夫はそんなところに通っているのか、そこに入るきっかけがどういうものであったのか想定できないよ。

智、母親に対して「お前」といっているのは、どうも違和感が生じてしまう。微妙に育ちの悪さ(といったら彼には失礼かもしれないが、少なくとも彼は誰に対してもそうした粗暴な言い方をしているわけではないのでどうしても)を感じてしまうのかな?あと、なんか母子というよりも、男と女といった風に変な(ある種性的な含みがあるような)見方をしてしまう。それは、ただ単にこっちの感受性がおかしいだけかもしれんが。327ページあたりの、智が母親に向かって話している言葉は病弱な父が娘に対して言っているような言葉にも見えなくないのがなんとも。

『ふだんのなりで、酒の匂いをぷんぷんさせ、もう車の影も見えぬ塀の前へ出て来ると、いくぶん不安そうにふりかえってみた。ぶつぶつとしきりにひとりごとを云っている。
 (大体、智のやつ、いつだって母さんばかしのけ者にしやがって、母さんだって、れっきとした、安藤流の名取りなんだからね。さあ公の奴、ずるいんだ。けっこううまく立ちまわりやがって、母屋の手伝いとかいって、もぐりこんじまってさ――そうだよ、いつだって母さんひとりおいていってっちゃおうってんだから。だけどあたしだって、パパの大事な舞台、裾からだっていいから見たいじゃないか――さあ公は来るなって云ったけど……お前になんか怒られたって怖かねえや。母さんだってパパの舞台くらい、見る資格はあるんだからね……ハンだ。怒ったって、怖かねえや――)
 ぶつぶつ、居もしないむすこあいてに憤懣をぶつけながら、いくぶんおぼつかない足どりで歩いてゆくところへ、ちょうど向こうからやってきたタクシーをみつけると、あわてて手をあげた。』(P489)「怖かねえや」と二度もいうなど本当は息子に怒られたくないでもどうしても見たいという心情と(怒られるのが怖いという)子供っぽさをすごくわかりやすく(しかも自然に)表現されているなあ。こういうような人間を描けるのはすごいなあ(単にこうしたタイプのキャラが書かれている小説をあんまり読んだことないから必要以上に感心しているのかもしれないけど)。とくにこの文章は、こうしたキャラをどういう類型の名前で表現すべきか言い方が分からないが、いかにも友子のらしさがでている気がしてすごい好きだなあ。

藤野、喜三郎の話、遊びと芸の関係。さも当然のように、そうした経験(だったり精神状態)が必要とされているのには、そこまで疑いなく説明されると、そうかなと思ってしまうよ。

警察、「聞きましたか」(ドヤ顔)といわれても、前後の脈絡からはどう考えても智が由紀夫が死んだから、自棄になっていっているとしか考えられない言葉だろ(しかも犯人にしたいなら、って明らかに犯人じゃないやつの台詞だろw)。大人が少年のそうした言葉に揚げ足取りで、任意同行させよう(しかも犯人として断定しよう)としているのは、限りなくみっともない。

目立たぬように移動していたのを、伊集院見逃したのって、結果的にそいつが死んだから、自殺することを許容しているように見えてしまう。というか、こうした真相を明かすときに移動しているのを見逃しているパターンって、大体自殺だったりして終わるようなパターンだよね。

『真に、おどろくべき女性だったのですよ、八重さんは』(P620)、こういうフレーズで形容するのはミステリにありがちだから、パロディとしてこんな言葉遣いしているのかな(笑)

犯人が殺人をした理由に、どうもいまいち納得がいかなかったが、そののちに黒幕にたいしての、確認での説明(?)で話されていた真相には、そっちの方が警察らに話した説明よりもずっと納得がいくな(真相なんだから、当然といわれればそうだけどw)。