バスティーユの陥落 小説フランス革命 3

内容(「BOOK」データベースより)
弁護士デムーランの煽動で起ち上がったパリ市民。暴動は一気に燃え広がり、圧政の象徴、バスティーユ要塞を陥落させた。さらに、ミラボーの立ち回りによって、国王に革命と和解させることにも成功する。勝利に沸き立つ民衆だったが、食糧難と物価高は改善されず、暮らしは一向に楽にならない。再び不満を募らせた彼らがとった、大胆な手段とは―。歴史巨編、急展開の第3巻。

このシリーズ(といったらいいのか、大長編と呼んだほうがいいのか)は、読みやすいけど1冊毎買っているから、次の本を買うまで間が空いてしまって、すごく読みやすいのに、読むのに変に期間がかかりそうだなあ。まだ、4巻も買えていないので、今度は何冊かまとめて買って、あまり記憶が薄れないうちに読んでいかなきゃなあ。そうでないと、メインの人物以外の人名や細かな部分をすごく忘れてしまいそうだ(ただでさえ記憶力が良くないからなあ)。

バスティーユ、中の囚人がろくにいなかったということだけは知っているので、なんで落としたのか、現代まで重視されていた意義が良くわからなかったが、バスティーユを落としたのは要塞内部に武器があり、威圧感もあった(圧制の象徴的なものだった)ので、それは市中(自分たちのテリトリー)に敵の軍事施設があったということで、それを落としたということは、そういう意味でも市民の勝利と位置づけられるものだった。ということで、バスティーユを落としたことが有名な理由がようやく納得がいった。

ネッケルが人気だったのは、財政手腕というよりも「自分たちの代表が登用された」という意識から。フランスの貴族よりも、他国の平民のほうを「自分たちの代表」と感じてしまうほど、貴族と平民間に親近感がまるでなく、断絶した存在だという認識があったんだろうなあ。ま、国民国家やら民族自決といったものが出てくるのは、もっとあとなんだからしょうがないけど。

ミラボー、獅子吼するという登場からはもっと大言壮語ということやる人なのかと思っていたら、自分たちの勝利が見えてきたら現実的な(急進的でなく漸進的な)落としどころを探って、革命を完成させようとしているので、ロベスピエールとの間でも意識の差があらわれてきて、師弟関係(のようなもの)も徐々に解消されて、別のコースへと進んでいく。

『第四条、自由とは他人を害しないかぎりなにをしてもよいという意である。ということは、個々人が人間に自然に備わる権利を行使するときは、社会の他の成員にも同じ権利を約束するために設けられる、若干の範囲によってしか制限されない。その範囲は法律によってしか、定められえない。』(P158)、この時できたフランスの憲法でも、「他の成員にも〜」という規定があるのに、そして近代的な自由の概念の源はこれでしょ?(よく知らんけど)、それなのになんで「自由」って意味が、本当に人のことも考えずになにをしてもいいというような意味のようにとっているような人が案外いるのかね?また、どうしてそんなイメージがついてしまったのかな。

フランス王がのらりくらりと決断から逃げて、ほとんど強情にも感じられる。というミラボーの印象には、なんとなく幕末の幕府のイメージが想起させられるな(笑)

女たちがフランス王をパリへ。今までミラボーは、王が自ら革命に協力してくれるように努力していたのに、それをまるっきりだめにして、一切合財もっていきやがったな(笑)

解説にもあるけど、この小説はフランス革命を一定の価値観(あるいは結果論)のもとで善玉・悪玉と分けるのではなくて、当時の「微妙な現実」(流動的な)を刻々と書いていくので、そうした意味で歴史物なんだけど、結果から見て、その時々に起こったものをあたかも当然のことのように描いてないので、個々の人物に共感、と言わずともやっている行動は理解できる(過度に超人として描かれているものがいない)ので、とくに歴史物だと気構えて読まずとも普通に読むことができる。