時計館の殺人 新装改訂版 下

時計館の殺人<新装改訂版>(下) (講談社文庫)

時計館の殺人<新装改訂版>(下) (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
館に閉じ込められた江南たちを襲う、仮面の殺人者の恐怖。館内で惨劇が続く一方、館外では推理作家・鹿谷門実が、時計館主人の遺した「沈黙の女神」の詩の謎を追う。悪夢の三日間の後、生き残るのは誰か?凄絶な連続殺人の果てに待ち受ける、驚愕と感動の最終章!第45回日本推理作家協会賞に輝く名作。


 上巻の感想を書いてから、下巻の感想を書くまでなんだか知らんが、妙に間が空いてしまったな。
 鹿谷、『仮に僕の想像が当たっていたとしても、時間はまだ充分にあるんだから』(P128)なかの凶行と関係することだと思ったから、なにがわかったか知らないがもったいぶってないで明かすべきでは、名探偵特有のもったいぶりかと思ったら、読了して感想を書く段になって読み返したら、中で現在起こっている出来事とか関係ないことを知っただけかとようやく気づく(遅い)。
 真相が明かされてみると、鹿谷をすぐに呼んだのも物語の都合上ではなくちゃんと意味があったのか。
 倫典、永遠への愛、歪だなあ(いや歪だと彼が娘のためをおもってした行為についてちょっと軽すぎる気がする表現だが)、目的と手段が入れ替わっているというか。
 最終的に犯人に、自首するのも逃げるのも自由というのは、真相を直に話しておいてなんか微妙に及び腰の姿勢に感じるなあ。こういう選択肢を与えるのは発表当時は知らんが、現在はあまりうけないような物の気がするが、まあ、ただ単に僕が違和感を覚えているだけかもしれないけどさ。その探偵がこのシリーズの鹿谷よりもずっと不完全な人間として描かれている(例えば一人称とかで)とかならわかるが?まあ、勝手なイメージですが(笑)。というか、ここまで書いていたら、ようやく鹿谷が子どもっぽいという事実にようやく気がついて納得できた。
 『こずえはきっと死ぬほど驚いたに違いない――と、江南は想像する。』(P353)しんだ人間に対して、「死ぬほど」という表現は(苦笑)。
 江南のノートの内容をある程度あてにするというのは、どこまで詳しく書いてあるかはわかっていないんだから、ちょっとこんな細かく調整していたる犯人としては?