韓国併合への道

韓国併合への道 (文春新書)

韓国併合への道 (文春新書)

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著者は『攘夷の韓国 開国の日本』で第5回山本七平賞を受賞。日本人といえば「過去を反省しようとしない人たち」と教えられ、そう思い込み続けてきたが、それはどうやら韓国人のほうにあてはまる言葉であると知り、「併合に至った韓国側の問題点」の究明を思い立った。この本を書くに至った動機をそう語る。韓国人が自らの肉体を刻むようにして「併合の原因」を摘出した自省の書である。
1860年代、韓国は事実上崩壊していた。しかし、李朝政権は外交と軍事を清国に任せ、安閑として政争に明け暮れていた。独立の意志を喪失したこの国を、清国とロシアが植民地化しようとしていた。この事態は、日本の安全保障にとって重大な脅威だった。米英両国もロシアの進出を警戒していた。そして、日本の朝鮮支配とアメリカのフィリピン支配を相互承認する「桂・タフト協定」が締結される。

著者は、こうした東アジア情勢の中に、李朝の腐敗、日本の開化政策、清国軍隊の暴虐、金玉均らの独立運動閔妃殺害、李容九らの「日韓合邦運動」などの歴史イベントを配置して、「併合」に至る道筋を跡づけていく。

韓国の改革を考えない政治指導者たちが「一貫して日本の統治下に入らざるを得ない道を自ら大きく開いていった」一方で、李容九らは民族の尊厳の確保をめざして「日韓合邦運動に挺身していた」。しかし、彼らが「民族の尊厳の確保」を托した「韓国併合」は、朝鮮人を常に圧迫するものでしかなかった。その結果、「国内で最大限の努力を傾けた李容九らを売国奴と決めつけ」「国内では表立った活動をすることなく外国で抗日活動を展開した」李承晩らを愛国者・抗日の戦士と高く評価する「不当なバランスシート」が作られたという。激越な痛みのこもる自省の言葉だが、それはまた、李容九らをむざむざ「売国奴」にしてしまった日本人に対する痛恨の思いとも聞こえるのである。(伊藤延司)

 この当時の日本の対朝鮮の政治は拙かったということは色々読んだが、朝鮮側から見た事情はよくわからなかったので、ちょっと気になって読んでみた。
 朝鮮の科挙制度、両班しか受験できなかった。世襲田、実質的な私有が増える。なんだかその辺の事情は、日本で言えば平安とかそのあたりを想起させるなあ。
 官職が得られずとも両班世襲されたうえ、金で両班になったり、ニセの資格書を売ったりが繰り返された結果、1690年に両班は総人口の7・4%だったのが1858年には48・6%(!)に、しかも官職以外の職につけば両班じゃなくなるから、彼らの多くは働かずに猟官運動を展開した。しかも派閥間の争いが激しく、その争いと憎しみが子孫に世襲されたって、それでは人心や国力が荒廃するのも無理ないな。
 大院君登場前、官僚の内紛・抗争のため行政は麻痺、軍事力極度に弱体化したまま放置され、農民一揆の慢性化、王室の権威の失墜など、内情ぐちゃぐちゃだな(笑)。大院君が登場して、横のつながりを分断し縦の流れに組み替え復古的専制政治をした。
 1881年当時、人口1300万人に対して、軍隊二千数百人って少なすぎて唖然とする。
 朝鮮への清国の干渉が、清国の帝国主義という視点は今までそう直截的な言葉で表されたのを見たことない(と思う)ので新鮮、だけど少し考えれば確かにそうだと腑に落ちる。
 閔妃、税関収入の一部を愚にもつかぬシャーマニズムの祭祀の為にがめて、悪貨の私鋳をしたりと、王室にある人間が私利私欲を恣に満たしているさまは浅ましく感じてしまう。
 金玉均、当時の日本が勝利しても、ロシアに対抗するために独立中立国にして列国の共同保護ということになるだろうという読みにより、日本側を頼る。当時の日本の国力は強すぎも弱すぎもしない、力を借りるにちょうどよい相手だった。そう説明されれば、当時の日本の朝鮮の金玉均らへの助力にも、何でもかんでも、結果から帝国主義的野心からだとか、いわれるよりも現実的で納得がゆくよ。日本の当時の首脳もそれほど馬鹿じゃないと思うし。
 義兵運動、併合時に至るまで地域を越えての大団結を生み出すことはなかった。
 そういえば、事大主義という言葉は聞いたことはあるがどんな意味なのか知らなかったが、大国(支配的勢力)に頼ろうとすることか。


というか、「韓国併合への道 完全版」なんてでてたのか。それなら、発売まで待ってそちらを読んだほうがよかったな。新書の新刊はチェックしていないから今になってはじめて知ったわ。

韓国併合への道 完全版 (文春新書 870)

韓国併合への道 完全版 (文春新書 870)