まよチキ 10

まよチキ!10 (MF文庫J)

まよチキ!10 (MF文庫J)


内容(「BOOK」データベースより)
マサムネによる告白。家出から戻ってきた紅羽。そして、学校に来なくなってしまった近衛と涼月。秋から冬へと移りゆく季節とともに、自分を取り巻く人間関係も、少しずつ、けれど確実に変わりつつあるのを俺は感じていた。そんな中、紅羽が近衛に告白すると言い出して、俺とマサムネは二人のデートを見守ることになる。その結末はまあ想像にお任せするが、前に進もうと決断した妹の姿や、さらにシュレ先輩の励ましを受けて、俺も走り出すことを決める。俺の親友である執事くんと、その主であるお嬢様がいる場所へ―。学園執事ラブコメ第十弾!少女の願いがもしも叶うなら、その時にはきっと、心を隠した仮面を外して―。「…私で、いいの?」。

 最終巻を読んでから、感想を書くのをずっと先送りにしてたなあ、と気づいてようやく取り掛かる。といっても、最終巻読んでからでも結構時間たっちゃっているんだけどね(苦笑)。
 苺、脅迫されて、チェーンソーを自分が持つって、そんな説明誰も信じねえよ、と思ったが、改めて考えると、普段からチェーンソーを持っているほうが信じがたいことに気がついて、案外そんな説明の方が通りそうなことに驚愕。冗談よりも驚異的な現実って(笑)。
 59ページの涼月の笑顔、痛々しいなあ。
 坂町、子どもの頃は『自分がウジウジと悩みを抱えたり、それで失敗をしてしまうという未来があまり想像できなかったのだ。』(P128)想像できなかった、えっ!?本当にありうべからざる驚愕の真実を知ってしまった気分。
 シュレ先輩、男前ww
 涼月、仮面をかぶっていた、と自虐的に言っているが、仮面をかぶっていない人なんていないだろ、自覚しているかしていないかの違いや程度問題で、というかその仮面は自分とは異質のものでなく自分の一部なわけですし。
 たとえば、自己啓発とかの本に感化されて自分で行動を変えてそれで性格(外面)が変わったと認識されたら、それはまるっきり偽者で、人に嘘をついていることになるのかといったらそうでないじゃないでしょう。自分をよりよくしようと外面(外面だけ変えて内面は外面にまったく影響されないと言うのはちょっと考えづらい)から変えたり、子供が大人ぶったりしているのを嘘つきとは言われんし、糾弾されることでもないけど。でも、そういうのでもいちおう仮面でしょう。だから、問題は外面を自分の一部だと認識しない自己認識じゃない。あるいは本質と言う言葉を人間誰しもが持つ一番根本の子供っぽい部分(これはだれにでもあるだろう)だと理解して、その子供っぽい部分を自己の本質として認識して、今の自分自身を虚構のものだと考えているがゆえに生まれた苦しみとかそういう気がするな。長々と書いているが、どうも論がまとまっていないというか、どうもろくなこと書いていない気がするな(苦笑)
 まあ、そうしたことを知っていて、で、実感として本当の自分なんていう虚構のせいで自分を傷つけるのは(本当の自分を出せていないということで、周囲の人間に対する後ろめたさを感じ、それによって彼女が苦しんでいるのは)、長年の心の作用ゆえだから、それこそ、一朝一夕には改変できないだろうし、彼女が苦しんでいる事実は誰にも否定できないだろうから、こんなこと言っても何の慰めにもならんのだろうけど。