和本入門 千年生きる書物の世界
- 作者: 橋口侯之介
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2011/09/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容(「BOOK」データベースより)
明治以前、千二百年の間に日本で作りだされた和本は、今日まで生き続け、そこには「本の魂」が息づいている。和本を知ることは現代の本を知ることであり、私たちにとって「本とは何か」という原点にさかのぼる。和本は実際にはどのように扱ったらよいのだろうか?その作りはどうなっているのだろうか?そもそも和本の歴史はどのように変わってきたのか?豊富な実例と図解で、分かりやすく紹介。
和本全般について語っていて、個々の著作について語っているものではない。和本を買ったり見たりするのには役立ちそうだが、和本を見たことがなく、古文や漢文が読めない上に崩し字も読めないので、きっと読む機会がないだろうから、そういうここの著作の小ネタのようなちょっとした小エピソードもないといまいち興味が持てない、じゃあ何で読んだのかといわれると自分でもよくわからないが(苦笑)。
外題(表紙に印刷された書名)と内題(本文の始まりのところに出てくる書名)が違うことが結構あり、どちらを採用するかいまだに論争になっている、ということは知らなかったが。当時の法則とかがあったらそれを採用しているだろうから、法則性がないのかね。
『経文は白地に書いてはいけないもので』(P31)ということははじめて知ったが、どういう理由だろ。そして、経文は白地が駄目というのが続くのはいつまでなのか、少なくとも平安まではそうだったと書いてあるが江戸時代はどうだろ?
雁皮紙、折り目がつくとなおらない。その点、楮紙は乱暴に扱っても戻る強靭さがある。紙って楮のイメージ強いから、他でも(上質ではなくとも)作れることをつい忘れてしまう。
『私刊本の場合、活字版なら奉行所の規制の対象外だったから自由な出版ができた。一度発禁処分を受けた林子平の著作を活字で作ったのも、この間隙を縫ったものだ。』(P50)なんで活字だと規制されなかったのかよくわからんなあ。案外江戸のそうした規制は杓子定規だったってことかな?
和本、どの頁でもきれいに180度開くというのはいいなあ。今の本では手で持って読まないといけないからね。というか和本が机の上に置いて読むものだったのはそれができたからで、そして今の本ではできないからその読書風景をちょっと変わった風に感じてしまうのか。