プラントハンター

プラントハンター (講談社学術文庫)

プラントハンター (講談社学術文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
十九世紀のイギリスは未知の花や珍しい樹木を求め国中が沸き立っていた。国の勢いを背景に世界中へ植物探検行に赴く「ハンター」たち。アフリカ・ジャワ・中国から植物王国日本まで新種への情熱が輸送の困難をも克服する。ヨーロッパに齎されたラン・ユリ・キクなどが引き起こす園芸への熱狂、貿易商人の形成。植物に魅せられた人々の活動を跡づける。

 日本についての分量が多くていいね。日本の植物が、幕末や明治初期に世界で評価されたということは、江戸時代の園芸のレベルの高さが証明されているようで、嬉しい。まあ、植物の知識ほとんどないから、こんなものも日本から西洋に導入されたものなのかという意外性もあるしね。Wikiの「古典園芸植物」の項目は江戸時代の日本の園芸のことが書かれていて中々面白い。
 『薬効・食料・香料が、諸機プラントハンターの求める有用性だった。』(P13)こういう初期に欧州のプラントハンターが、どの時期にどういったものを導入したのかというのはすごい読みたいのだが、というか中世欧州の薬用植物とそれが導入されたものなら、いつ頃なのかというの概説的に書かれているものがあるならぜひ読みたい、あまり高い本でなければ。まあ、そういうのが読みたいのは、中世ファンタジーとか中世舞台の小説(またはweb読み物など)とかで、中世当時の薬のことが詳細にかかれたものを見たことないから知りたいという、よくわからない動機だけど(苦笑)。
 イギリスの植物学の雑誌「ボタニカル・マガジン」、1787年から現在まで続く、ってすごいな225年の歴史か。
 「ウォードの箱」、もっと小さな箱かと思ってたら(菓子折りの箱程度を想像していた)、案外大きめなのね、そして、上部が家の屋根のように三角形の上二辺のような形をしていた、見た目はミニチュアハウスかガラス製の(つまりカクカクした)ビニールハウスのように見える。と思ったら、ウォードの箱の形って一様ではないのね。植物の性質ごとに変えるといわれれば納得がいくが、今まではなぜか全部同じ形だとばかり思っていた。「ウォードの箱」って言葉が、1つの箱の形のように想像できるからかな?
 モローが箱館に滞在中、『遠征隊員たちは、またしばしば引き網を引いて魚も捕らえている』(P128)とあるが、これって幕府(あるいは松前藩)から漁をしていいって許可が出ているのか、それとも黙認されているのかが少し気になった。本筋とは関係のない些事たる描写だから気にする必要ないんだけどどうしても、ね。
 フォーチュン、茶の移植を目的に中国に派遣(1848年)。茶の木は既にインドに移植されていた『イギリス人が望むような品質の茶の生産ができず、違う品種が望まれていた。』(P152)移植を目的と見たとき、当時既にあったはずではと思ったが、違う品種の移植が目的だったのね。
 フォーチュン、報酬を与えることで子どもに珍しい昆虫などを探してこさせようとした。日本の友人はその方法は試みてみたが駄目だったといったが、コレを実行し成果を挙げることができたのは、中国人の使用人を間に立て、その人がわずかずつでも日本語を覚えてゆき、更に態度がよかったので人気者になったため、成功することができた。
 竹、現在ではイギリスでもあちこちで目にすることができる、とあるが、インドとか暑いところの植物というイメージ強いから、耐寒性があるといっても意外感はいなめない。
 商品としての百合、輸出額、明治12年5,000円、17年15,000円、45年970,000円、昭和12年3,300,000円。なんでそんなに売れたかは、イギリス(他の国では知らん)で一年越した球根には発芽能力が失われ、毎年新しい球根が必要だったから。