果てしなく美しい日本

果てしなく美しい日本 (講談社学術文庫)

果てしなく美しい日本 (講談社学術文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
豊かな水と緑に満ちた山並み連なる美しい国、日本。来日間もない若き日の著者が、瑞々しい感覚で、日本とはどのような国かを論じ、母国の人々に紹介する。近代化による大変貌にもかかわらず依然として変わらない日本人の本質を見つめ、著しい美的趣向、豊かな感受性、比類のない多様性など日本文化の特性を刳り出す。日本への愛情溢れる日本論。

 1958年にアメリカで出た本を、1973年に邦訳したときに『現在の事実に反する旧知識はなるべく訂正した』(P19)もの、だが当時の新知識が新たに加えられているわけでないようなので、基本的に50年代の日本についての本。
 日本人が、群衆を喜ぶ心理云々で、日本の家屋は壁が薄くプライバシーがないこと、そしてそうして共に生活することで「家族」の一員となること、と説明して、群衆を喜ぶ審理の例としてあげているが、今では考えられないなあ。まあ、個人的に人と関わるのが苦手だからそう感じるだけで、例えばそういうのを合宿とか寮生活みたいでいいなと思ったり、ノスタルジアを感じるという人は、今でもそういうのを好む人が一定数いるのかもね。想像だが、ただ今では圧倒的にそういうのを好むのは少数派だとは思うが、というか、その当時の若者が本当にそれを好んでいたかもわからんし、選択の余地がないからそういう生活をしていただけかもと疑りたくなりますが、まあ、それはあまりにも個人的にそうしたものを好む心性が理解できないゆえの勘ぐりに過ぎないのかもしれませんが。というか、他者のを見る分には好きだけど、例えば「ハリーポッター」の魔法学校やギナジウムもの、あるいはその他の寮がでてくる小説・ライトノベル作品とか大好物だもの。
 『幼い子どもであるには、日本は素晴らしい場所である』『劇場では、赤ん坊のけたたましい泣き声で舞台の音がほとんどかき消されてしまっても、観客はまったく気に掛けないように見える。』(P82)こういうのはかなり現代とは違うね。というか、「逝きし世の面影」で、日本人の子ども好きは書かれていたが、それが江戸だけでなく、50年代あたりまでは続いていたのかな?
 農村の立場が目に見えて向上したのは、1941-45の大戦の間。都会人が田舎へ出かけて購おうとしたという話は、今まで戦後だけのことかと思っていたが大戦中もか。
 『十七世紀から十八世紀ごろまで、中国人は伊万里焼のまねをしていました。中国の冬季はよりやすくて粗末なものでした。ヨーロッパでは中国のものは一段安くても買わなくて、日本の物は高くても上等でしたのでお金を払う人がいました。』(P278)中国の上質な陶器は皇帝家とか、高官の手に大概がわたっていて、外国人(あるいは民間)は手に入らなかったとかじゃなくて?と疑問に感じてしまうほど意外だ。そういう疑いは、当時の伊万里焼を作っていた人たちには非常に失礼なことかもだとは思うが、どうしても、ね。まあ、この部分を読んで江戸時代の陶器の話をちょっと知りたくなってきたな。