理想のヒモ生活 2

理想のヒモ生活 2 (ヒーロー文庫)

理想のヒモ生活 2 (ヒーロー文庫)

内容紹介
小説家になろう」ランキングNo.1作品の待望の第2巻。1巻でも大好評の書籍でしか読めない新章、新たなエピソードも付いてドキドキ・ワクワクがさらにパワーアップ!

女王アウラのプロポーズを受けた山井善治郎が、異世界に来て、二ヶ月。結婚式以降、後宮で穏やかな日常を満喫していた善治郎であったが、長くは続かない。社交界デビュー、側妃問題、異世界の風土病の発病など、それまでの平穏のツケを払わされるかのように、頻発する諸問題。これまでとは一転して、慌ただしい日々を過ごす善治郎に、ある日、南大陸中央部の大国、シャロワ・ジルベール双王国から、極秘の書状が届く。その書状に記されていた驚愕の内容とは?女王アウラと、善治郎の行く末は?
小説投稿サイト「小説家になろう」ランキングNo.1作品の第二弾。ドキドキ・ワクワクがさらにパワーアップ!

 発売直前になって、2巻が発売することに気がついた。こんな速いペースで刊行されるとは思っていなかったものだから。
 1巻で税を誤魔化していた連中の金をしっかり徴収した後、軍事費にあてた。その理由が『元々、地方貴族たちはその金を地方軍の軍事費に充てていたのだ。そういった素性の金を、軍事費以外に充てるということは、単純に考えれば国内の軍事力を落とす結果になる』(P22)というのは納得。税を誤魔化していた所からしっかりとらなければ、まではすぐに考え付くけど、それを軍事費に充てる必要性は盲点になっていたので、こうして語られることでようやく気づけた。
 善治郎がガープァ王国の服装を着ているところは、結構格好いいな、と思ったので、服装が与える印象の重要性を実感させられるよ。
 冬に読むと、暑さによる不快感が実感しづらくなるなあ。暑くて辛かったのがたった数ヶ月前なのに、という自分のそうした体感を想起できる期間のあまりの短さには、嘆息をもらしたくなる。
 『世間では誤解されがちだが、王侯貴族の世界でも、「仲の良い夫婦」というのは、決して珍しいものではない』(P128)まあ、現代でも見合い結婚の方が恋愛結婚よりも、お互いが妥協できる(努力しあえる)から、離婚率低いっていうしね。
 善治郎が日本の料理を再現したいといったとき、アウラが好きにすればよいと良い笑顔で行ったという小エピソードは、なんだか滅多にわがままいわない子供が顔色を伺いながらお願いをしてきたから、そのことにちょっと目を見開いて驚きつつも微笑ましく思っている、という感じで、アウラと善二郎が親子のように、差のある関係を端的に現しているようだ。
 双王国が善治郎のことでちょっかいをかけてきたのは、webではじめに読んだときは伝承を理由に確証のないことで内政干渉をしようとしている(ようにみえる)のは、約束を守ったら変わりになにかをするとかもなく、都合のいいことをいっているのかと不快だったが、書籍版においてある程度まとまって読めば、これは善二郎にとっては追い風というかある意味都合のいいことだったのね、ということが了解できる。まあ、側室問題は『いずれ婿殿にとって不本意な形で決着がつくだろうが』(P289)とアウラは予測しているので、まだまだその問題は続きそうだが。
 善治郎、ココアや紅茶も持ってきていたのか。まあ、そうした食料系は一年で(第一誌が生まれるまでに)消費し尽くしちゃったのかな、あまり量を持ってきていたようには思えないし。
 結婚指輪の交換シーンにおいて、アウラは善治郎をついに王国にとって跡継ぎが必要だからいるという、丁重に扱ってはいるが結局求めているのは種馬的なことだったが、ようやく、今までは国のことが第一でその他のことは、国の現在・将来で有益かどうかという兼ね合いでいざというとき切り捨てる覚悟を持っていたが、もう、いざという時、善治郎の存在がマイナスとなっても国にとって不利益だからとわりきって容易に切り捨てられない存在となっていることを悟った、もう妊娠しているのでここにきてその段階なの、という気も多少しなくもないが。でも、エピローグ前の終わりのシーンとしてはすごく良かったよ。
 付録として、今回も前巻にも登場した3人の侍女サイドの話があるが、今後もこうして巻末に短編が付くのかな、そうだといいな。しかし、乳製品がないというのは、菓子を作るうえでバリエーションが制限されるな、まあ、料理なら調味料とかは尚更似たものを見つけるのは困難でしょうから、菓子の方が再現するのは比較的容易でしょうけど。
 ヴァネッサがなんか妙に煽っているなあ、と思っていたが、自分の役目が指導監督役だから、料理のスキルをあげさせるのに、わざわざ手とり足とりせずとも餌(冷蔵庫の一部使用権)を使って自発的にやろうという気を起こさせるほうが楽だからか。
 時計もなく、温度もよくわからないという中で料理するというのをみて、調理のための家電が登場するまで、料理というのは相当な技量が要求される仕事だったのだなあ、と感じた。まあ、3人組の場合はちょこちょこかまどを空けて、焼き具合見たほうが良かったのではという気がしなくもないが。そして、試行錯誤した末に出来上がった品を食べてヴァネッサが言った、三つ編み状にしたらとか、いっそ揚げたほうがとかのアドバイスには、前者はアップルパイとかで普通イメージされる形のパイだし、後者はマックとかのパイだな、と笑えた。そういったものは、現物を食べたら、料理の専門家でイメージ力を持っている人なら誰でも想像できるような進歩の産物なのかな。それともヴァネッサが頭の中で正しい新たな工夫を付け加える能力がとても秀でているのか、あるいは、それをあっさり想起できるまでの試作品をつくった3人組がすごいというべきか。