<狐>が選んだ入門書

“狐”が選んだ入門書 (ちくま新書)

“狐”が選んだ入門書 (ちくま新書)

内容(「BOOK」データベースより)
目的をもった読書にとって、よい入門書を選ぶという作業は欠かせない。それはわかりやすい見取り図を示し、適切なチェックポイントを教えてくれるからである。ところが、世間には入門書が溢れかえっており、その時の自分の関心やレベルにあったものを選ぶのは実はとても難しい。その結果、迷路に入り込んでしまって、膨大な無駄を重ねることになりやすい。では、どうすればよい入門書を選ぶことができるのだろうか。そもそも、よい入門書とは何か。広くて深い入門書の世界を解き明かす異色の読書論。

 狐(山村修)という人が800字だかで書評を書いていた人だとは知っているが、実際に本を読むのはこの本がはじめて。まず書評から入れという気がしないでもないがw。
 『敬語とは、人と人との距離を確保するためにつかうものである。ときには厭な相手を遠ざけるためのものである。つまり他人が「へんな風に」侵入してこないように戸締りするための言葉が敬語だ。』(P22)橋本治の文で著者が深く納得させられたこと、ということでその説明が紹介されているが、こういうのをみると僕が必要としている技能であり、勉強しなければなという思いが強まり、勉強をする意欲が湧く気がする。
 虫メガネで絵を見るということは、以前違うとこでも見た気がするが、すっかり忘れていたが、ちょっとやってみたくなるなあ。といっても絵にそこまでの興味はないんですが、というか、文庫本じゃいちいち押さえつけて虫メガネでみるの面倒だし、大きな本をそのためにわざわざ買う気もしないし。まあ、いずれやろう、いずれ。というか、そのときは虫メガネも買わなきゃいけないな。
 『詩歌というものは暗記すべきものだ』(P64)というのはわかるけど、中々覚えられないよねえ。今パッと思い浮かべられるものろくにないもの、まあ詩自体をほとんど読んだことがないのがその主な原因だろうけど、何か良い詩のアンソロジーがあったら、今まで読んでみたいのだが、今度暇なときにでもamazonで良さそうなものないか探してみるかな。
 内藤湖南、日本文化を豆を擂った液にたとえ、中国文化をそれを凝固させるニガリにたとえたが、それだと、凝固させえたのが中国文化しかないみたいにも感じるから、微妙な気もする。チーズとかの方がまだたとえとしていいんじゃという気が(まあ、当時はチーズがそんな一般的じゃなかったから、そう譬えても、当時の人は豆腐のたとえよりも感心しなかっただろうが)。
 また、『ある時代にある種類のものが非常に絶頂に達するまで発達した以上は、そのことについてはその以後の時代にはもうそれより以上発展しないものではないか。』(P126)という指摘には感服する。

この本を読んで、興味が湧いた本たち。
 内藤湖南『日本文化史研究』ちょっと前から内藤さんの本を読みたいなとは思っていたが、この本は少なくとも19章のうち12章は、講演(or談話)の下書きや速記原稿を元にしているということで、思っていたよりもずっと読みやすそうなので、より読みたくなってきた。

日本文化史研究(上) (講談社学術文庫)

日本文化史研究(上) (講談社学術文庫)

 武藤康史『国語辞典の名語釈』、こうした辞典(言葉)についての本は、今まで興味は少しあったけど、読んだことなかったから、これを読んでみようかという気になったけど、amazonでは新品ないのか……。
 ツヴァイク(岩波ではツワイク『ジョゼフ・フーシェ司馬遼太郎の「翔ぶが如く」で川路が尊敬している人物として多少説明され、立場を変えながら激変する当時のフランスで様々な要職についたというのには興味を持っていたから読みたいと思っていた。こうして、別のところでも見ると何か読むべきときなのかな?という気がしてくるよね。というか、ツヴァイク最近読まれなくなっているというから、なんとなく敬遠していたが一度は読まなきゃと思っていたからちょうどいい機会かな、と思っている。
ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像 (岩波文庫 赤 437-4)

ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像 (岩波文庫 赤 437-4)

 窪田空穂『現代文の鑑賞と批評』、「浮雲」の一文を読みほぐしているものが印象されていたが、それが細やかでわかりやすく説明されているので読みたくなったが、どうもそれだけで本になっているものとか、簡便に手に入るものがなさそうな感じなので、当分読むこと諦めるか。1967没なので、しばらくしたら青空文庫にこれ入ったらいいな、という期待をしつつw
 武者小路穣『改訂増補 日本美術史』、短く図版が多くて、説明の文章も良いというので、非常に読みたくなったのだが、これもamazonでは新品なしか……、むう。