春を恨んだりはしない

春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと

春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと

内容(「BOOK」データベースより)
被災地の肉声、生き残った者の責務、国土、政治、エネルギーの未来図。旅する作家の機動力、物理の徒の知見、持てる力の全てを注ぎ込み、震災の現実を多面的にとらえる類書のない一冊。

 3・11についてのエッセイ、コラム。津波原発について。
 聖書をケセン語に訳した、山浦さん(医師でもあるようだ)のエピソードで『昔からよく知っている置いた患者がやってきた。診察しながら「生きていてよかったな」と言うと、「だけど、俺より立派な人がたくさん死んだ」、と言って泣く。気づいてみると患者と手を取り合って泣いている、医者なのに』(P14)というのを読むと、「だけど、俺より」という言葉が痛切に胸に突き刺さる。
 本の題名の「春を恨んだりしない」は、はじめに題を見たときからすごく決まっている言葉だなと感じ、3・11のあとに遺体回収がまだ全然終わっていないのに春が来たことを指しているのか思っていたが、ヴィスワヴァ・シンボルスカという作家が、夫がなくなった後に書いた「眺めとの別れ」という詩の一部のようで、その詩が引用されていたが、この詩、すごくいい詩だな、まあ、僕には詩の良し悪しはわからないから、個人的にすごく気に入ったってこと。
『またやって来たからといって
 春を恨んだりはしない
 例年のように自分の義務を
 果たしているからといって
 春を責めたりはしない
 
 わかっている わたしがいくら悲しくても
 そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと』(P18)
 『ぼくは日本人のこの諦めのよさ、無常観、社会を人間の思想の産物とみなさない姿勢、をあまり好きでないと思ってきた。議論を経て意図的に社会を構築する西欧の姿勢に少しは学んだほうがいいと考えてきた。
 しかし、今回の震災を前にして、忘れる能力もまた大事だと思うようになった。
 なぜならば、自身と震災には責任の問いようがないから』(P62)「あまり好きではなかった」という基本のスタンスにも、最後の「責任の問いようが無いから」というこうした大きな自然災害を目の当たりにしての、意見の微妙な修正にも非常に共感を覚える。ただ、僕の場合、そういう方にしたほうがいいと感じていても、自身の無能さ(と対人恐怖症なこと)を言い訳にして実践できていない空論にしかすぎないのだけれど(苦笑)。