耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳

耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳 (ファミ通文庫)

耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳 (ファミ通文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
僕レイチ。今年から“八高”に入学する本地民(コネだけど)。植物でも愛でつつ妄想の中で暮らしていきたかったのに、クラスメイトは王国民流モラルハザードなヤツばっか!とくに何、この幼女?耳刈?ネルリ?せっかくの高校生活、痛いのはイヤー!(耳だけに)しかも何で僕が自治委員に任命されなきゃなんないワケ?王国民との対立とかもうお腹いっぱい、僕は今日も勉強会で忙しいんだってば―!第10回えんため大賞優秀賞受賞作、ついに登場。

 以前から名前は知っていて、非常に評判がいいので、気になっていたがようやく読了。ところで、amazonで購入したんだけど、発売から三年以上経っているのに初版なのはどういうことなの?内容はいいけど売れなかったのかな、だとしたら内容が優れているとの評価が高い作品なので、それは残念な(というか、悲しい)ことだ。ライトノベルは似たような趣向のが増えていっているからねぇ。デビュー作で中々変わっていて、なおかつ面白いシリーズ書いた人でも、そういう趣向のものに移ることが非常に多いし……。というか、3年前のラノベってどんな状況だったっけ?まあ、そのあたりの時期には、もうそういう傾向ははじまっていたんだろうが。なんとなく、ブログ界隈でラノベの多様性を褒めていた頃から、既にそうした傾向は出始めていた、といった感じだった、という定かならぬ記憶があるが。
 「耳刈」って、ネルリが住む国には、本当に断耳する習俗があるのかい、初っ端からそんなことが語られて、思わぬグロさにちょっと動揺した。僕は、どんな形でも、人間の部位を人為的に欠損させる話を読むのは苦手なので、例えば、縄文時代の抜歯についても平常心で読めず、どういう反応していいかわからずに困惑してしまう、たぶん、僕自身がそうした身体が欠損することへ非常に強い恐れを抱いているのが原因だと思う。たとえば、もし、自分が足の小指でも歯の一本でも欠損すると想像するだけで、非常に悲しくなり泣けるような気持ちになってしまうくらい、そのことにたいする恐怖感はとても強いので、そうしたことが語られると痛ましさを感じてしまい、わずかに狼狽することを避けることができなかった。
 「野蛮な王国民」と地の文でいっているわりには、普通に接しているというか、文化が理解できなくとも友人になれているのは、そうした異文化の人たちが内包されている社会に生きているから、そういった文化の理解が無くても友人になれるという認識(と、異文化と認識して必要以上に理解しようとしない距離感)があるのかね。まあ、「野蛮な」という言葉を使っているのは、半分以上、他国(その王族クラスの人が)から留学にくる人が多い場所で、自分は親のコネで押し込まれて、自分とは縁遠いところに来てしまった(また、自分こそエリート教育を受けていない、即ち普通「野蛮な」といわれている面子の王族連中の中に入ると自分こそ「野蛮な」(教養がない)と呼ばれるにふさわしいのではないか)という自嘲的な部分もあると思うが。
 『「懲役三年だな、僕ら」/(改行)/僕がいうと、彼は少し考えてから笑った。』(P16)ちょっと考えてから高校のことかと思い至ったが、しかし、最初は何のことか全くわからなかったから、頭の回転鈍いな、僕は、と若干へこむよ。
 全部の感情表現が「ナラー」だと鳴き声みたい、と思ったが、「おお」みたいに全ての局面で色々変えて使っていると考えたら、実際音声として聞いているのであればナラーが多いなあ、とは余り感じさせない設定なのかな?
 『勝ったと思うなよ!』(P56)出典違うだろう(というか、普通に書いていて出てきただけだろ)けど、どうしても、某汚い忍者の例の台詞を思い出して笑ってしまう。
 レイチ、ナナイの解放を求めるのはいいが、なんでそんなに喧嘩腰なんだよw、まあ、それを見てようやくわかったのは、案外そういう意見いっても罵声程度で済むような、その程度は許されるようなとこなんだね。なんとなく、ソビエト北朝鮮とかのイメージで言いたいこともいえん(いったら大変なことになる)ような所だと思っていたわ。といっても、実際のソビエト北朝鮮の日常生活で言動による処罰等がどの程度なされている(た)かについてに知識はないんだけど(苦笑)。あと、カミレ、このシーンではじめて、お堅いけど、敵キャラ(だって、いかにもな体制派〈保守派〉の優等生で、馴れ合わない雰囲気だからどうしても、最終的にそちら側になるものとばかり)としてみなくてもいいんだ、とわかり、ちょっとホッとした。
 レイチ、小さな議題ではあるが委員会の面々を一時間程演説することで賛同者を得て、ネルリへの中傷ビラを片付けることを実行するのに成功したのは、すごいなあ、レイチには演説の才能があるのか、一時間も喋れることや、説得に成功したということ、演説が終わった直後の聴衆も飽いてはいないところを見ると、その才能を強く感じさせられるよ。
 しっかし、騒動を起こすのに躊躇しないな、このクラスの面々は、自重しようという慎重論もろくに出てこんし(笑)。