坂の上のヤポーニア

坂の上のヤポーニア

坂の上のヤポーニア

内容紹介
日露戦争直後の約100年前、大ベストセラーになった日本論が今、初めて日本人の前に蘇る! 日露戦争直後、帝政ロシアの圧政下にあったリトアニアで一人のリトアニア人青年が日本論を出版した。彼の国の人びとが胸をときめかせて読んだ書をひもとくと、意気揚々と世界へこぎ出したニッポンと、太陽のように明るく道徳心に富んだ日本人の姿が克明に描かれている。そう、日本人にとっての「明治」が西洋列強に追いつくことを夢見た時代だったように、当時のリトアニア人もまた、日本という憧れの独立国家に「坂の上の雲」を見ていたのである。

 図書館でなにを読もうか探しているときに、読みやすそうなので(実際読みやすかった)、手にとって読んでみた。
 日露戦争後に、リトアニアで日本紹介の小冊子を出したカイリースという人物の紹介(人物自体が日本では知られていないということもあって、余りつっこんだ内容〈色々な説を出して検証するとか〉にはなっておらず、また伝記というほどのものでもないので、本当に紹介といった感じ)と、その日本について書かれた本の内容の紹介。
 『日本海海戦後の戦利品であるロシアの軍艦がさらしものとなって港につながれていた。日本政府は、このように各地の軍港を使って日露戦争の劇的勝利を陳列し、国民に向けて戦果をアピールした。あわせて海外からのVIPにも見学を許した。』(P63-4)軍艦の戦利品ってそんな風に、見世物として使われていたのか。なんとなく、今まで軍艦として再利用しているのかと思ってたわ。
 日本に行ったことがないからか、維新前の日本の農民についてロシアの農奴と同様に書いているが、リトアニアの状況との共通性を高めるためにあえて(『カイリースのもくろみは、あくまでリトアニア人の意識変化、覚醒にあったので』〈P70〉)そういう風に書いたのかどうかはわからないが、そういうカイリースのもくろみについて解説される前は、やっぱりちょっと、ん?って思ってしまうね。
 『もちろんカイリースは、この明治維新を欧米の革命とは別物だととらえていた。』(P79)「日本の1/2革命」を読んだとき、フランス革命でフルサイズの革命をやってしまったがために、それ以後革命といえばフルサイズでやらなければという意識が生まれた、だったかな、まあ、そういうのを読んだので、日本ではフランス革命について正確な知識がなかったから無理に全部やろうとせずに、現実的に考えて半分に留めた、というのが実際なのかなと思った。別に日本が特別とか言うのではなくね。
 このカイリースの日本紹介の小冊子では、カイリースが社会主義に浸水していたということもあって、単なる日本礼賛にとどまらず、日本の労働者や農民が置かれている苦しい立場にも触れられ、その点では日本をちゃんと批判している。
 杉原千畝がヴィザを発給したのがリトアニアということもあって、杉原にも少しだけ触れられているが、そのエピソードは『研究者らによれば、単なる美談ではないらしい。在任中、諜報員として働いていた杉原は、ポーランド側からの高度な情報と引き替えに通過ヴィザを発給したという説もある』(P194)とのことだが、そのことははじめて知ったがなるほど、在留邦人がいない国に諜報員としてきた人間が、単に人道だけで動いたというよりも何かしら情報を得た(もちろん人道的な意味もあるだろうが、得られるものはしっかりと得ようという職業意識から)といわれたほうが納得がいく、まあ、どちらにせよ、杉原千畝については名前とヴィザ発給のエピソードは知っていても、他のことについては何も知らないので、杉原の伝記が読みたくなってきたな。
 リトアニアでの取材で、カイリースの人物像を掘り下げるよりも日本関連のことをばかり尋ねているようで、どうも読んでいるだけで赤面してしまう。