歴史書を読む 『歴史十書』のテキスト科学

内容(「BOOK」データベースより)
西洋の古代から中世への転換期に、ひとりの教会人が後世へのメッセージとして書き残した史書『歴史十書』。それは伝えられるようにフランク人の歴史を記すことを目的としていたのだろうか。語られる内容だけでなく、テクストの分節構造を手がかりに、著者グレゴリウスがこの史書に託した知られざる意図を解き明かしてゆこう。

 世界史についてろくに知らないのに、歴史書についての本は不思議と読む気が非常にそそられるなあ(笑)。知らない時代の知らない歴史書の話、なんでこうも面白そうに感じるのだろうか。
 『歴史十書』とは、6世紀にグレゴリウスというトゥール司教が書いたフランス、メロヴィング朝の歴史書で、ローマ期以後最初の歴史叙述。
 『キリスト教歴史観の特徴は、その独特な終末観に裏打ちされた思想であり、(中略)この濃密に意味づけられた時間仮定にあっては、あらゆる出来事は週末の予兆と結び付けられ解釈された。このためにある出来事が事実であるか否かは、第一級の関心事とならざるをえなかった』(P35)キリスト教的な歴史観は、事実であるかどうかということを非常に重視する。事実であるかに非常に関心を持つのは近代の科学的なものがバックボーンであるのかと思っていたら、大本はキリスト教的なものにあったというのはちょっと驚き。宗教と歴史の事実という2要素は、どことなくミスマッチな気がしたというのもあって、今までそうした関連について全く気がつかなかった。あ、でも改めて考えてみれば、別の本、たしか新書でそんなことを読んだ記憶もあるなあ。まあ、すっかり忘れていたんだけどね(苦笑)。
 48Pの「ソワソンの壺」(有名、らしい。僕は知らなかったが)というエピソードの挿絵が載せられているが、その絵において、戦士が頭に狼か犬の頭を帽子みたいに乗せて(被って)いるのだが、それには一体どのような意味があるのか、ちょっと気になる。自分自身を狼のように獰猛だ、ということを表現しているのかな?防具や帽子代わりというのでは流石にないだろうし。
 『ローマ都市で作成するのが習慣となっていたクローヴィス時代の「五年日誌」』(P81)とあるが、そうした日誌というのは現存数少ないんだろうが、そうしたひとつの都市の歴史を何年かごとにまとめて記録する習慣があった、という事実にはなんか空想、妄想をしてしまうようなわくわくするような気分になってしまう。ちょっと「五年日誌」というワードで検索しても出てこないから、色々変えて検索していたら、都市年代記というのが多数存在しているようなので、それが読みたくなってきたな。
 『サント・クロワ女子修道院は、メロヴィング王家の未婚の娘たちが、半ば強制的に俗世から引き離され、隠遁生活を送らなければならないところであった。』創建者の聖女ラデゴンドの死後まもなく『二人の王女が、院長の対応への不満を爆発させ、反乱を起こし、ポワティエの無法者たちを引き入れ、放縦な生活にふけり、妊娠する修道女まで出る始末であった。』(P70)グレゴリウス(『歴史十書』の著者)にとって終末の到来を予感させる暗い出来事だった。というのは、たしかに終末思想を持つ彼がそう感じてしまうのもおかしくない出来事だ。反乱を起こして、修道院に堂々と間男を引き入れる、しかも王女達がどこの馬の骨とも知れない男を、というのは、キリスト教を信じていない、そして歴史的・文化的に隔たりのある、僕でもちょっと現実にあったというのは実感しづらい淫蕩で放埓なエピソードなのだから、同時代人でキリスト教の司教であったグレゴリウスにはよほど衝撃的な出来事だったのであろうと想像できる。
 シカリウスとクラムネシンドゥスの争い。なんで、こんなに長く尾を引くような事態になっているのかがわからん。自分や仲間に対する侵害行為に対する、あるいは名誉を傷つけられ場合の、復讐という(当時の)正当な行為を履行していると、こうした血腥い事態に陥りやすいのかねえ、そういう事態になるのを避けるために細心の注意を払いそうだが、偶々この紛争当事者の片方(ないし両方)がそういった注意力に欠けていたのかな?これがスタンダードだったら怖いわ。まあ、わざわざ書き表しているから、日常茶飯事なわけではないでしょうが。グレゴリウスは、治安維持の為に仲裁してさっさと自体を終結させようと、シカリウスを殺したクラムネシンドゥスが、国王から『なんぴとたりとも彼を襲撃してはならないという証書』(P124)を貰うため、グレゴリウス自身が仲介したため、シカリウス一派(一族)から恨まれて、司教グレゴリウスが支配するトゥールから国王貢租の徴集をしようとする、という嫌がらせを受けた。紛争と貢租には、テキストを見る限り直接つながりがあるようには書いていないが、自分が恨まれてそういうことをされたということを隠そうとして直接には書かなかった、というのは、面白い(「あとがき」をみると、研究集会で、アメリカの高名な教授も賛意を表したというのだから、その解釈は全く的外れというわけではないだろう)。そうした、隠された事実を書かれた言葉から読み取るというのをみると、いつもなんだか少し高揚したような気分になる(笑)。